参加者は12人。
はじめは、肉親など身近な人の死の話から。
そしてだんだん死そのものをどう受け止めるか、怖いか、空しいか。
そして自分が死にたい話など。
自分も頭のなかが忙しいので、メモが取りづらくて正確ではないのだが、大体以下のような意見が出た。
(ニュアンスが違っていたら申し訳ない)
●父親が死んだ時は、ずっと嫌いだったのに美化をした。が、しばらくして元に戻った。
●許せない人が死んでも、やはり許せない。
●他人の死は、その人との関係の総まとめ。
●子供のころから若いうちに死ぬと思っていたので、長く生きるとなった時に面倒に思った。
●生きているのが好きなので、永遠に生きていたい。死にあらがっているのがいい。
●子どもができたら、むしろ自分はもう死んでもいいという気になった。
●ずっと死にたいと思っている。
●死ぬことより生きることのほうが怖い。
●仕事が大変すぎたが、視野が狭くなってやめられない状態になり、その時に死のうとした。
以下は完全に自分の感想。
今回は、話を聞いていて涙が出そうになるところもあった。
死の話そのものも「とにかく生きることだよ!」みたいな熱血な空気のなかでは難しいのだが、特に「死にたい」と言い出すことは困難。否定されるのだから、それも当然だ。
社会全体でも学校のような場所を筆頭に、そういう空気のなかにずっといたのだなと思う。
どちらが健全なのか、わかったものではない。
また、「生きるのは楽しい」という人でも、気がねなく発言できる空気は保っておかないといけないと思ったり。
いずれにせよ、ここで聞いた話は日々暮らしていく糧になった。
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