前回に続き、「大して悪くもない人を叩きたい時に使われる手口」シリーズの第2回。
今回はレッテル貼りについて。
例えば90年代にはたくさんの人がこういう被害にあったが、いくつかの共通点をあげて、「誰々はオウムとまったく同じだ」とそこそこうまく言えば、いきなりその誰々さんは怪しい人、危ない人に思えててくる。
宅間守、加藤智大、宮崎勤なんかの名前も、同じように使われるだろう。
「誰々は〇〇主義者(〇〇イスト)だ」などもよく使われるパターンだ。ここで言う「〇〇」はとてもイメージが悪いもので、その集団の「敵」であることもよくある。
「ナチス」や「ネオリベ」なんかはよく使われる。
ここで言うレッテル貼りとは、こうした悪者のレッテルを貼ることだ。
ここで言うレッテル貼りとは、こうした悪者のレッテルを貼ることだ。
日常的に、SNSなんかでもとてもよく見かける。
何かよからぬことをして話題になった人について、経歴や家庭環境など、いくつかの点をピックアップして、いい加減に「こういう人だ」とまとめてしまうことがよくある。
レッテル貼りは、そのさらに手を抜いたやり方だと言っていい。
ただし、オウムみたいな人、ナチスみたいな人なんかめったにいるわけがない。
それなのに、わりとあっさりと受け入れられてしまうのはなぜだろう?
自分の考えはこうだ。
人はいつでも、他の人物のことを(アーチストでも何でも)「簡単にわかりたい」と思っている。けれどもひとりの人には、いくつもの側面があって複雑で、そうそう簡単にはわからない。最後までわからないかもしれない。
だからこそ、その人をあっさりとわかった気になれるものを欲しがっている。
すでに多くの知識がある、わかりやすいレッテルは、その欲求を満たしてくれるので、飛びついてしまうのだろう。
自分としても、首相レベルの人にヒトラーのレッテルを貼って批判するくらいなら、別にいいだろうとも思う。レッテル貼りだなとは思うけれども。
ただ、個人を攻撃するために、この技は普通に使われているので、決して見過ごしたくない。
(自分もかつて「オウムに似ている」被害にあったことがある)。
悪者のレッテル貼りは、たいてい不当な個人への人格攻撃だ。
人格攻撃は批判ではなく、誹謗中傷だ。
「オウムと一緒」呼ばわりしたら、普通に名誉棄損だろう。
レッテル貼りが行われた時、「そういえばそうかな? そうか。お前は悪いぞー!」と乗せられる代わりに、「そんなひどいレッテルを貼るあなたは何なんだ」と、逆にやった人に目を向けるのがいい。
不当な人格攻撃もずいぶん減るだろう。
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