久々の公園の居場所の報告

10月の「不適応者の居場所」は、4ヵ月ぶりに公園でやった。
久々だったせいか、参加者は入れ替わった人も合わせて40人くらいで、外でやった集まりでは最多だったかもしれない。
長い間、集まりを開けていなかったからだろう
男女比は2:1くらい(?)、年齢は20代から40代あたりが中心だったか。 
もともと用意したシートに、さらに別のシートを何枚も付けたして、距離は十分に取れた。
(と言っても、今は1年数か月ぶりの、世の中に感染者が特に少ない時期なんだが)。

その晩ぐっすり眠って起きてみて、いつになく気が晴れているのを感じて、「ああこれまで何カ月もうつだったんだな」と、ようやく気づくようだった。
日々外にも出ているし、人にも会っているのに。
気が晴れた状態というのを体験しないと、自分でもなかなかわからないものだ。
コロナの鬱は、大体こんなかかり方をしていそうで怖い。いつもと変わらないと思っていても、発散は意識して入れていきたい。

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コロナ騒動が起きてから、心の問題がほとんど顧みられないなと感じる。
感染で死ななければよし。うつで苦しんでいようが何だろうが、相当の負荷がかかってもよしとする。
ただし死んだら、それは泣き叫んで悲しむような大惨事である。
(死者の数字だけが、惨事かどうかを決定する)。
そんな世の中の傾向には、ちょっとうんざりする。
コロナに関わらず、この国にはそういう傾向があり、我々の人生観をゆがめていると思っている。

※写真は代々木公園の居場所周辺の風景。クリック・タップして見てください。

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