一度はもうだめだと思うほど大変になった。
当日の天気を気にすると言えば、まずは雨、そして気温。
風なんて眼中になかった。
風のことまで読めるわけない、、、、、
予報の風速6~7メートルを見て、嫌な予感はしていた。
会場に行ってみると、まず予定していた芝生のエリアは工事中で立ち入り禁止。
そして普通にかぶっている帽子が遠くに飛ばされていくほどの強風。
風が避けられる橋げた近くにシートを敷いたのに、それでもシートも何もかも風で飛ばされてしまう。
シートをしっかり石で固定しても、何度も何度も遠くまで飛ばされる状態。
この時点で、「しまった!今日はできない」と思った。
(この時点で、持ってきた水筒いっぱいのお茶が、リュックの中にすべてこぼれたのを発見!)
(うわーやばいやばいとリュックから出したびしょ濡れの物たちも、当然すべて飛ばされた)。
それでも前々から呼びかけをしていて、もう向かっている人もいる時間なので(開始15分前)、とりあえず今の地点の告知をした。
「とにかく風が強くて場所も不本意で最悪ですよ」と。
居場所をやっていて、ここまで追い詰められたのは初めてだ。
そんな時、近くで一人だけずっとラクロスの壁打ち練習をしていた人が帰った。
その人がいたあたり、しかも壁にぴったりとつくほどの壁際に行くと、風の影響をあまり受けないではないか!
最悪の景観だけど、そこに壁にぴったりくっつけて横長の居場所を設置。
(下の写真のグラフィックのあたりに移動した)。
なかには「強風で最悪と聞いたから来た」と言っていた人も(何考えてるのか、、、)
食べ物もおいしいのを作ってもらえて、楽しく話せた(距離は十分に取れた)。
なじみの参加者が、「前回居場所をやった12月以来初めて人と話した」と言ってくれた時、やってよかったと思った。
自分もやるべき作業が立て込んで、鬱々とした日々で、気晴らしを色々試していたところだった。
映画やカラオケや外食、展覧会など様々なものの見物、みたいなことだ。
それでもたくさんの人と和やかに飲んで話すのは、「別格」の発散だと感じた。
(人によるのであくまでも自分の場合はということだが。各々が自分に合った発散法をやるのがよい)。
もともとコロナ前の居場所は、いつも同じ場所を借りて、そこで飲んで話して帰ってくるだけ。
それがコロナ以降は、まずどの公園が使えるのか? 天気と気温はどうか?
公園でできないなら、どこを散策するか。オンラインでやるなら、何を話せばいいか?
と、とんでもなく色々考えねばならなくなった。
今回の場所も、他のあらゆる公園が花見禁止で使えないので、やっと見つけた場所だった。
行ってみれば予想どおり工事中で、川辺なので特に風が強かったというわけ。
それでもやるんだから、我ながら本当にやりたいからやってるんだなと思う。
しかも今回は、もともと「多分工事中だから、どこでできるかわからない」という不安なスタートで、行ってみれば強風。
それでもなんとかなったというのは大きい。
「絶体絶命と思えても、なんとかなるもんだ」という経験は、自分個人にとっては、まあ、宝とも言える。
絶体絶命と思っても、何とかなりますよ。
それからこの居場所をやったことは、自分が死ぬ直前に人生を振り返る時に、確実に思い出すようなものになったなと思うが、それはこのコロナ期間があったからかもしれない。そういうものはあってよかった。
苦しい経験ならいらないけど、そういうものではないので。
この記事へのコメント