追悼のためと言うより、その話題に便乗しているように見えてしまうことが多かったので。
けれどもさすがに、ザ・スターリンの遠藤ミチロウ氏が死んだ3年前には、追悼の記事を書いた。
その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。
それが見田宗介だった。
誰かを英雄視したり偶像視したりするのにもまた、自分には大きな抵抗があると言っておきたい。
それでもやはり、見田宗介が死んだら何か書くだろう。
見田さんは、日本を代表する社会学者と言っていい。
そして自分は大学で5年間(笑)、見田ゼミに出ていた。
単位は3年までにほとんど取ってしまっていたので、4年目5年目は授業に出る必要もなかった。
その間、このゼミ以外に大学で何をやっていたのか、よく憶えていない。
見田さんが授業で言っていた言葉で、心に残っているものがある。
「大学に入ってくる時には、みんなとてもいい問題意識を持っている。けれどもあれこれ学んでいるうちに、その問題意識が拡散してしまって、つまらないテーマで卒論を書いて出ていってしまう。それがとてももったいない」
といったことだ。
「自分にとって本当に切実な問題を考える」。
そういう言い方もよくしていた。
さっそく同じく見田ゼミだった友人と、あれこれ話していて気づいたことがある。
自分の問題意識や研究分野を限定しなかった見田宗介の理論は、少なくともいくつかの分野に大きく分かれる。
それらをまとめるのもなかなか大変だ。
けれども読んでいてグッとくる(あるいは泣ける)という要素がどれにも共通してある。
それはなぜなのか?
その理由が、「最初の問題意識を持ち続けているから」なのだろう。
『自我の起源』(93年、真木悠介名義)のあとがきは、こんな言葉で始まる。
「この仕事のなかで問おうとしたことは、とても単純なことである。ぼくたちの「自分」とは何か。人間というかたちをとって生きている年月の間、どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか。他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか。そういう単純な直接的な問いだけにこの仕事は照準している」。
こういうことを考えない人なんかいるのだろうか、というくらい大きくて大切な問いだ。
けれどもむしろあれこれ考えすぎるほど、我々はこの最初のみずみずしい問題意識から離れてしまう。
そして「つまらない問題」に向かっていく。
引用しているうちになんか泣けてきたので、長くなるがもっと引いておこう。
「時代の商品としての言説の様々なる意匠の向こうに、ほんとうに切実な問いと、根柢を目指す思考と、地についた方法とだけを求める反時代の精神たちに、私はことばを届けたい」。
「虚構の経済は崩壊したといわれるけれども、虚構の言説は未だ崩壊していない。だからこの種子は逆風の中に播かれる。」
「アクチュアルなもの、リアルなもの、実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちのうちに、青青とした思考の芽を点火することだけを願って、わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい」。
結局全文引用してしまった。
けれども書いてみて、これが彼が死んだ時に伝えておくこととして、一番ふさわしかったと思えた。
偶像視にならないように気をつける気持ちが働いているが、あえて書こう。
これらの言葉は、自分がものを書くうえでの内容というよりも、「態度そのもの」に色濃く影響を与えているのがよくわかる。
もちろん彼に出会う前からその態度はあったので、自分の力で身につけたとも言えるが。
(誰かを偶像視していると、自分を低く低く見積もるようになっていくのにも気をつけたい)。
(自分は大好きなミュージシャンのライブに行っても、自分とステージ上のあの人は対等であると思うようにしてきた(笑))。
長くなってしまった。
一応彼が説いた論にも多少は触れたいので、もう一回短めのを書こうと思う。
(※)画像は、大学1年の時の見田宗介の社会学の授業のノートから。下半分に書いてあることは、今見てもよくわからない。大事なのは上。「問題を~」ではなく「問題意識を~」。
(※)画像は、大学1年の時の見田宗介の社会学の授業のノートから。下半分に書いてあることは、今見てもよくわからない。大事なのは上。「問題を~」ではなく「問題意識を~」。
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