見田宗介氏追悼記事の最後は、「波としての自我」の話をぜひしておきたい。
ただこういう話、ガッツリやろうとすると、仕事みたいに大変になるので、適当にやりたい。
我々は生まれる時にどこからやって来て、死んだあとどこに行くのか?
ただこういう話、ガッツリやろうとすると、仕事みたいに大変になるので、適当にやりたい。
我々は生まれる時にどこからやって来て、死んだあとどこに行くのか?
いきなり何言ってんだと思うかもしれないが、これは多くの地域の神話・民話に見られる、人間が持つごく普通の疑問だ。
その答えになる見田氏の言葉を少し、『現代との対話 見田宗介』というインタビュー本から。
「〈私〉は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちの様々なかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと」。
「海が宇宙だとすると、波というのはある数秒間の形としてあるわけです。自我というのは宇宙の海の波みたいなもの」
この「自我=波」という例えは、本のどこかに書いてあっただろうか?
本来は『自我の起源』に書いてあるべきことなのだが、ここにはない。
(ただし、この本の表紙を見よ!)。
それでもこれは見田氏の論のなかでも、最大レベルの重要事項だと思う。
そんなわけでこれから書くのは、自分がその骨格に勝手に肉づけしているものと思ってほしい。
まず、自我は「自己意識」と言いかえることができる。
「自分で自分を意識している」ことで、これは生物のなかでも人間にしかないものとされる。
自己意識の誕生は、生物進化の流れのなかのひとつの大きな山と言える。
(このあたりは『自我の起源』から)。
では、自我が波とはどういうことか?
波は海の水の高まりで、海が盛り上がっては波(あるいは波頭)を生んで、また元の海の水に戻っていく。
ここでの「海」に相当するのが「宇宙」だ。
まあ宇宙と言うと、いきなりぶっ飛んでいる。自分でも飛びすぎていてイメージが難しい。
なので地球でもいいと思う。そんな物質世界のことだ。
物質世界は窒素や水素や炭素や酸素といった原子の粒からできていて、その粒はいろいろくっついて、無機物から有機物を作る。
(物質はエネルギーの一形態というレベルの話はここでは割愛)。
(物質はエネルギーの一形態というレベルの話はここでは割愛)。
そこから生物は生まれる。そのなかから人間が生まれて、人間の脳から「自己意識」が生じた。
これが自我だ。
我々は生まれた時、どこから来たのか?
この物質世界から物質を集めて生じたのだ。
我々は死んだあとどこに行くのか?
天国や〇〇界のようなところだろうか?
そういうものは我々の誰もが気づいているとおり、「嘘」だ。
我々は死んだら、波が元の海の水に戻るように、またこの物質世界に帰るのだ。
では転生なんてのも嘘なんだろうか?
いや、転生はありそうだ。
物質界に分解されて帰った我々は、また別の物質にもなるし、別の生物にもなるだろうから。
ここでもうひとつ同じ本から引用。
「海とたたかう波として近代的自我というのがあるというイメージが、ぼくにはあるんです」
「近代的自我」とは平たく言えば、「我々現代人の意識」くらいのことだ。
「波という形にこだわるから、いつか消えてしまうことに虚無感を感じるのだ」という意味の発言もある。
たしかにずっと波でいつづけられないなら空しいなんて、おかしな話だ。
ここまでイメージしてみて、ああすげえ話だなと今でも思う。
何がすごいのか、わけわかんないかもしれないけど。
おすすめ第1位の『自我の起源』には、確かに波の話は出ない。
けれども生物進化の始まりから、自我の誕生までを説明しているのがこの本で、これを知らないとこの波のイメージはつかみづらい。
『気流の鳴る音』の最後に出てくる
「存在それ自体という、最もたしかな実在の大地にわれわれが根をおろすならば、根をもつことと翼をもつことは矛盾しない」
という言葉も、これと同じことと言える。
やはりこの論は、見田氏のなかでも最大級のものだろう。
やはりこの論は、見田氏のなかでも最大級のものだろう。
そしてこのことは、『脱資本主義宣言』の最後のほうに、ちょっと変則的に書いている。
(無理に資本主義と絡めてしまって失敗した)。
90年代に書いたものにも、ちょこちょこと出ているはずだ。
こんな知識は、実生活では何の役にも立たないのだろうか?
たしかに「死んだら天国に行って、そこではみんなが待っている」というストーリーは強力そうだし、それにはかなわないようにも思える。
死ぬ間際になったらそうかもしれない。
しかしだ。
これまでの経験では、「いや、そうでもないな」というのが自分の実感だ。
さて、長々と3回にわたって書いてしまったが、ちょっとやった甲斐を感じる。
人が死んだ時にその人の一生を振り返るのは、意義のあることなのかもしれない。
それにしてもこんなことを考え続けた人は、自分の浅い経験では、他に見たことがない。
文学者やミュージシャンでも知らない。
きっちり書くことはしなかったけれども、おつきあいいただいて嬉しいです。
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