カネが稼げない人間には価値がないのか?

この社会では、働いてカネが稼げない人(特に男)はダメであるという価値観がまかり通ってるが、そんなことでいいのか?

資本主義経済のダメなところは、直接生産やカネに結びつかないことを、時間の無駄とか価値の低いことと見なすことだ。例えば、掃除・洗濯なんかの家事、育児、家族の介護、家の修理……といった「再生産労働」と呼ばれるもの。
これらは昔から今に至るまで不可欠な仕事なのに、「経済活動」に換算されないというだけで、その仕事だけでなくそれをやっている人まで軽んじられている。
(これらも専門の職業にしてカネを取るようになると、地味ながらも「ちゃんとした仕事をしている」と見なされるところがまたやっかいで、なんでもかんでもカネで専門の人に任せる「分業化」みたいな傾向を生んでしまう。)

こうして、生産やカネのやり取りといった経済活動に偏った社会ができあがる。
こうした価値観は、実は我々のなかにも深く根ざしてしまっているはずで、「片づけ」がこんなに面倒臭いのも、ある程度はそれが「無駄なこと」のように思えてるからかもしれない。

しかし、当然のことながら、我々の身体も自然界も、半分はこうした「元に戻す作業」があるからこそ、うまく循環しながらやっていけているのだ。生物界における菌類の「分解・還元」という役割がまさにそれだ(そして菌類もまた、生物学において”日陰者”扱いされてきた)。
自然界がそうであるなら、その一部分でしかない人間界だって、ましてやモノなどあり余っている今の時代には、「再生産労働」のほうをより重視してもいいくらいだろう。

だから、外に出てカネを稼いでくるのが苦手で、家で家事や介護をするほうが得意な人(特に男)も、自分は何もできない/していないと自己否定的になる必要はない(あまり他人事じゃない)。
むしろ今は、男ももっと家事をやらなきゃいけないはずだ。少なくとも、株を安く買って高く売るなんていう、もはや生産ですらない、どうしようもない経済活動なんかより、家事のほうがよほど大事だ、本来は。