涼しくなった公園での居場所

20220917 (1).JPGやっと涼しくなった公園での居場所、また35人以上の人が来ていた。
予備のシート1枚を忘れてきたので、まずいかなと思ったらやはり狭くなってしまい、別に持ってきた人が広げてくれた。

今回で一番印象に残ったのは、16歳の通信高校生と話せたこと。
通信高校の話など、色々学ぶことだらけだったのだが、アニメ、ボカロP、歌い手、Vチューバ―の話なんかは、やっぱり一般的に盛り上がるなと感じる。

そして別の人と4年くらい前に身近にあった、集まることの盛り上がり?のようなものを振り返れたのも面白かった。
一日店長をやったり、シェアハウスで何か催したり、居場所みたいな人を集める会を開いたり、カフェを作ったり、レンタルされる稼業が広まったり。民泊や地方に行って場所づくり、お金を持っている人から投資を受けるとか、色々な動きがあった。
シェアのブームとも連動していた。
それらはコロナにぶち当たって、大体低迷を強いられた。
1年くらいならしかたない、と思っていたのが、2年、3年と長引くうちにダメージは大きくなった。
この居場所も屋内でできる場所がなくて、気が滅入ってしまう。


17時を過ぎたあたりから、スズムシの声がうるさいくらい大きくなった。
これがまたいいなあと思っていた。

この記事へのコメント

  • 岡 真由美

    初めまして、関西在住の40代女性です。
    新刊「人間関係を半分手放して生きる」を一気に読ませて頂きました。
    共感できる事が多くて思わずコメントを。

    うちは両親の夫婦仲が悪く、社交性があり外面の良い父親が内向的な母をいつも人前で虐げる・・という、いわゆるDVな夫婦関係を見て育ちました。私には姉が1人いますが、何故か私は活発な父似、姉は陰気な母に似ていると位置付けられており、子供心にも感じるほど私の方が父や父方の親戚から贔屓されていたためか、1番年少の私は姉のコンプレックスや不満の吐け口にされ、姉には嫌がらせや暴言暴力を日常的に受けていました。
    大人になってからも色々ありましたが、現在両親は他界。姉は紆余曲折ありながらも家庭を持ち、両親の法要を機に姉とは絶縁する事に決め、その意向も伝え、その後数年間連絡を絶っています。
    常に不健全な家族関係の調整役となって振り回されてきましたが、ようやく「悪い意味で自分の人生を振り回す人がいない快適さ」を味わえるようになり、現在に至ります。
    ただ、今後姉がもし離婚したりして、一方的に私に接触しようとしてきたり、金銭を要求されたりして依存されたらどうしよう・・という不安は常に心のどこかにあります。相談できる親族はいますが遠方で、私が独身なのもあり、そういう時に誰にも守ってもらえないのでは?という漠然とした不安もあります。
    詳細は省きますが、私は普段介護士をしながらボランティアの範囲で「生きづらさに共感して、支える」グリーフケア的な活動をしており(あ、宗教活動とかではありません)親との関係や育ちを通した生きづらさを人と語る事はよくありますが、親よりも長く同じ時間を生きる事になる、兄弟間の支配や関係性による生きづらさももっと語っていきたい、と思っていたので、私の思う所をほぼ代弁して下さったような内容すごく嬉しかったです。

    この本、お守りにしますね。
    「不適応者の居場所」いつか遊びに行ってみたいです。
    2022年09月29日 22:03