「人に迷惑を?」と聞いたら、今では「かけていい」という答えのほうが多く返ってきそうだ。
そのくらい「もっと人に迷惑をかけていい」は流行りの言葉になっている。
これにはさすがに当惑する。
なぜなら自分が世の中のルールで一番大事なのは、「人に迷惑をかけてはいけない」だと思っているからだ。
相手に迷惑行為をしたり、嫌がることを言ったり、殴ったり、殺したり、、、
人に迷惑をかけていいなら、他に何か禁じるべきことがあるだろうか。
「人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい」
むしろこう主張したい。
なんて胸のすく言葉なんだ。
人に迷惑もかけていないのに、ガ―ガ―と非難することが多すぎるのだ。
いや、もちろん「人に迷惑をかけていい」の真意はわかっているつもりだ。
そう言っている人は、「もっと人に助けて(手伝って)もらっていい」と言いたいのだろう。
その言葉がどこから出てきたのかも大体わかる。
70年代の障害者の運動からだろう。
なのでその言葉は「人に助けてもらっていい」に言いかえたほうがいいのではないかと、以前から言っている。
それなら大賛成だ。
一方自分が大事に思っているルールのほうも、「迷惑」という言葉はちょっと違う。
「人を加害してはいけない」「不当に攻撃してはいけない」(※)
といったところか。
「皆さんも攻撃だけはしないほうがいいですよ」
こんなことを先日、一年に一度だけやっている大学の講義で言った。
不適応者の居場所の話のついでだったのだが、若い人にひとつだけ伝えたいことはなんだろうとあらかじめ考えて言ったことだった。
居場所をやっていて思うのは、話ができない、下手だ、性格・趣味・考えが変わっている、などということは、特に問題にならないということ。
人は他の人のことをめったに「嫌だ」「悪い」とは思わない。
けれども加害・攻撃をする人だけは別で、居場所でも攻撃だけは一発で退場だ。
攻撃されればもちろん「嫌な人だ」と思うし、被害を受けなくてもそういう人を見たら「悪い」と思うだろう。
そのくらい加害・攻撃することは、他の行為とは別ものなのだ。
もちろんそのなかには、仲間外し・集団無視のような「関係性の攻撃」も含まれる。
だからこそ「人に迷惑をかけていい」には抵抗がある。
今年の最後に、これは書いておきたかった。
(※)「攻撃」には注釈が必要だ。
1.ここで言う攻撃には「反撃」は含まれない。反撃は正当な権利だ。
2.問題のある言動への批判は攻撃とは呼べない。広くは反撃に含まれるかもしれない。
ここで言う攻撃は、「ムカつき」を原動力とする何かだ。店員に怒鳴るとか。
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