『パッチ・アダムス』という映画だ。
病院の患者を笑わせようとしたアダムスという男の話(彼の功績はそれだけではないが)。
彼は医学生だった頃、入院中の患者の部屋を訪れ、道化師(クラウン)を演じたりギャグを言ったりして患者を笑わせていた。
笑顔がなかった小児がん?の病室の子どもたちも、怒ってばかりの末期すい臓がんの男性も笑う。
これで患者が快方に向かうことはないだろう。
けれども彼らが笑った時、何か大きな変革が起きたように感じられる。
「死を遅らせるだけではなく、生の質(QOL)を高めることだ」
というアダムスのセリフもある。
そういうことだ。
そして彼の試みは後にホスピタル・クラウン(ケアリング・クラウン)という活動を生み出す。
これは道化師の格好で病室を訪問して、道化を演じて患者を笑わせる活動だ。
欧米では文化として定着しつつあるという。
今は主に子どもに対して行われているようだが、それだけではもったいない。
終末医療の現場全般でも活躍してほしい。
「病院に笑いが必要なのではないか」と思うこと。
そこには何か、幸せとか生きづらさの解消とかいうことの本質があるように思えるのだった。
それだ、などと思う。
残念ながら医療に笑いがなぜ必要なのか、数値や理屈ではまだ十分な証拠をあげることはできないだろう。
まあ、自分がひしひしとそう感じるだけなのかもしれない。
「笑いは鎮痛作用蛋白の分泌を促進し、血液中の酸素を増し、心臓を活性化し、血圧を下げ、循環器疾患に良い効果を与え、免疫力を向上させます」
ともアダムスは言っている。
けれどもそれだけではない。それは言わば身体のハード面の効果にすぎない。
脳内の考え方の部分(ソフト面)の変化のほうが大きいはずだ。
これまでにも言ってきたが、”どシリアス”にやることはとても簡単だ。
学校も職場も、もちろん病院も、寺や教会も軍隊も、どこでも人は”どシリアス”を強制される。
例えばクラウドファンディングを企画するなど、何かを世にバーンと訴える時に、ヘラヘラしているよりも”どシリアス”にいったほうがどれだけやりやすいか。
「真剣なんです、深刻な問題です、真面目に取り組んでます」と。
”どシリアス”なんて全然偉くないのだ。
人間は放っておくとヘラヘラしてしまうので、そっちが社会のデフォルトなのかと思ったら大間違いだ。
社会としては”どシリアス”がいち推しだ。
簡単だから大勢はそっちに流される。
だから「笑い」はいつも「反逆者」のような立場に立たされている。
病院におけるアダムスがそうだったではないか。
ーーと、あとはよく言っていることの繰り返しになってしまいそうだから、このあたりで切り上げておく。
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