高石ともやの『陽気に行こう』という曲が10代のころから好きだった。
ものすごくダサい曲なんだけど、この曲の代わりになる曲はこの年になっても見つからない。
自分はダサい曲もわりと抵抗なく聴くほうで、ダサいなんて理由でもっと大きなものを取りこぼしたくないと思っているからだ。
(Spotify)
高石ともやは60年代の日本のフォークソングの黎明期からいる人で、自分も後追いで知った。
この曲はカーター・ファミリーという戦前アメリカのフォークグループのヒット曲(Keep On The Sunny Side )のカバーだ(それもまたカバーで、その元曲となると19世紀)。
ダサいに決まっている。
自分もカーター・ファミリーバージョンはそんなに好きではない。
高石ともやバージョンの違いは、ザビに「苦しいことはわかってるのさ」というオリジナルの一言を入れたところだろう。
嵐吹き荒れても 望み奪われても
悲しみは通り過ぎて行く 陽も輝くだろう
陽気に行こう どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は解ってるのさ さぁ陽気に行こう
悲しみは通り過ぎて行く 陽も輝くだろう
陽気に行こう どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は解ってるのさ さぁ陽気に行こう
(『陽気に行こう』の2番の歌詞)
もともと陽気な人が歌う「陽気に行こう」とか「Take It Easy」なんて、あまり聴きたくない。
苦しい人が自分に必死に言い聞かせる「陽気に行こう」には聴く価値がある。
高石ともやがそういう人かどうかはわからないが。
自分はザ・スターリンやあぶらだこのようなドロドロした曲を毎日聴いていた時でも、この『陽気に行こう』は聴いていた。
今も部屋でよく、「希望持っていこう」と一人で声に出している。
それだけでかなり違うのだ。
自分は暗いこと、絶望的なことばかり言う書き手だと今は思われてるのかもしれないが、それは実は違う。
そういう世界を表現している作家やミュージシャンはまた別にいて、それも好きなのだが、いつも自分は違うなと思っている。
「絶望的なことを考えて考えて、、というのはつらい」というところから出発しているので、それで終わりとはなかなかならない。
と書いているうちにまた「説明しすぎ」の段階に入っているので、このあたりでやめておこう。
しかしブログ記事、久々だった。
もっと軽い内容をたくさん書きたい。
(大江健三郎の続きを書くと言っておきながら書いてないことも心の負担)
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