「ナチスにもいい人がいた」と言う勇気

71ybT4aJixL._AC_UF1000,1000_QL80_.jpg「ナチスにもいい人はいた」と証言している人がいたらどう思うだろう。
こうしたことについては今もまだ定説がないので、意見は分かれるはずだ。

アウシュビッツなどの強制収容所からかろうじて生還した、V・フランクルというユダヤ人の精神科医・心理学者がいる。
その体験を記した『夜と霧』はあまりにも有名な本だ。


彼は生還後「ナチスにもいい人がいた」と著書や講演会で語り続けた人でもある。
収容所で監視員を任されたユダヤ人にもひどい悪人がいたとも主張した。
戦後に巻き起こった「ナチス=悪、ユダヤ人=善」という決めつけ論に異を唱えたのだ。
そしてナチスはみんな連帯責任だという「ナチス共同責任論」に反対しつづけた。
彼はそのせいで、ユダヤ人側からの批判・中傷にさらされることにもなった。


自分がこれを知った時に思ったのは、「そんなこと言わなきゃいいのに」だった。
「ナチス=悪」としようというのは戦後の世界全体の運動のようなものだ。
『夜と霧』と『アンネの日記』はその聖典のように扱われた。
フランクルも、奇跡の生還を果たし反ナチス運動にまい進した聖人と崇められればいいではないか。



けれども彼は「それが真実だから」「自分のような者が言うから信じてもらえる」と、言うことをやめなかった。
確かにナチス側の誰かがそれを言ったところで信じてなんかもらえない。
考えてみれば、ナチスにもいい人がいたなんて当たり前のことではないか。
彼は最後にいた収容所の所長がいい人だったので、米軍がやってきて引き渡す時に、彼に触れるなと交渉したと見られている。
所長は自らのポケットマネーから収容されているユダヤ人の薬を買っていた。
そしてユダヤ人収容者の中から抜擢された監視員は、心ない嫌がらせや暴力を繰り返した。


自分がもうひとつ思ったのは「途方もない勇気だ」ということ。
そして「この人は信用できる人のようだ」とも思った。


何かの大きな考えに自分を合わせて、その考えを持つ集団のなかに入り、その流れに乗って行けば人生は簡単だ。
そうやって生きる人がどれだけ多いことか。
けれども「そこは違う」と思うことが必ず出てくる。
その時に大きな考えと自分の考えのどちらを優先させるのか。
「自分で考える」ことは、そこで自分の考えを優先させるところから始まるとさえ言えるだろう。
そこで大きな考えを優先させる人ばかりが得をする世の中になっていかないことを、自分も心から願っている。



最後にフランクルの主張について。
フランクルの最大の主張は、
「すべての人生には意味があるので、各自が自分の人生の意味に気づこう」
というものだ。
意味は「目的」と言い変えてもいい。「~のための人生」ということで、それはあらかじめ決められているという。
そしてその目的や使命の具体的な形としては、「職業」が想定されている……。


自分はこの考えには反対だ。
人生を「何かのためのもの」と考えて、それがわからない人は人生を浪費していると見なすなら、ほとんどの人は人生で何かを成し遂げられない不安に苛まれてしまう。
失業してしまった人は、どうやって人生の意味を見つければいいのか。

一介の生物にすぎない人間の人生には、他の生物と同じように意味などない。
普通に生き物として生きられれば十分ではないか。
自分はこれまでにもそう反論してきた。


それでも自分の若い頃、「人生を目的あるものと考えよう」という風潮は日本社会を覆っていたように思う。
「若者時代」だけを取っても「そこで君は何を成し遂げるか」みたいに言われた。
今思えば、このフランクルの説の影響もあったのだろう。

そして自分もフランクルを、なんとなく道徳臭い、自分とはあまり縁のない人のように思って来た。
けれどもこのことを知ってその印象は変わった。
確かにギリギリの人間のために唱えている説だとは思う。
そんな説は実は、めったにあるものではない。


※この記事は『フランクル』(諸富祥彦、講談社)などを参考にして書いている。『夜と霧』は、いい人だった収容所所長について書き加えられた新版を読むといい。

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