いったいどうなるんだと思っていたら、1時間もするとそれが20人になり、最終的に来た人は全部で36人(かな?)になった。
気温は低くなく、日が照ると暑いくらいだったのに、途中から風が吹きはじめると暖かさは相殺された。これで日が完全に陰ったら、いたたまれないくらいの風だった。
気温は低くなく、日が照ると暑いくらいだったのに、途中から風が吹きはじめると暖かさは相殺された。これで日が完全に陰ったら、いたたまれないくらいの風だった。
が、最後まで日は照ってくれた。終了の16時には風で寒くなり、これ以上はいられなかったのでギリギリセーフだった。
──と、こんなことばかりいつも考えている。
ある人が、川を河口まで歩いていくのが好きだと言っていた。多摩川の河口まで歩いた時は、そこで野宿をして日の出を見たと言う。日の出の写真を見せてもらったが、確かにこれを見たら「歩いてきた甲斐」を満身で感じられることだろう。
自分も自転車ではるばる多摩川河口まで行ったことがあるが、海が見えてきた時の感動は忘れられない。
この人はこの居場所では、隣の人によく「何が好きですか」と聞くそうだ。
自分もこの日他のところで、「日頃何をしてますか?」と聞くと、少なくとも駄弁りはいい感じになる、というような話をした。
それは例えば、山歩きが好きとか、哲学カフェに行くのが好きとか、何でもいいのだが。
ある仕事を辞めて休職期間中に何もすることがなくなり、それとともにつながりも元気もなくなり、ますますうつっぽくなり、どんどん休職期間が延びていく。
これが、この居場所では一番メジャーな悩みなのかなという印象を受ける。
もちろん自分が、効果てきめんの絶好の対処法を知っているわけではない。
けれどもそんなふうに、「何かやること」に目を向けたりそれをやってみたりしているうちに、少しずつうつや無気力も減っていき何かの活動や再就職もできるようになるという、そんなパターンが多いのかなと思っている(もちろん就職することが最終目標なんて思ってないが)。
もう少し書くと、人間社会の最終目標は「各個人の生きる苦痛をなくすこと」であるべきだ。
生きる苦痛がなくなった後どうするかは、各自が考えればいい。
仕事をして生活費を得るという循環で生き生きできるなら、それは実に好ましい「解」ではあるが、全員がそれでうまくやれるような「上出来な解」では決してない。それは学校と同じだ。
(現時点での人間社会の)働くことが「生きる苦痛」になる人もいるのだから、それは最終目標にはならない。
とまあ、最後のこれは大きなことなので、あとでちゃんと書こう。
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