「不適応者の居場所」はこんなふうに思いついた

DSC_1755.JPG5年前から毎月やっている「不適応者の居場所」。
これまでそれを考え出した経緯をちゃんと書いてこなかったけれども、忘れないうちに書きとめておきたい。


立ち上げるまでの具体的な経緯はというとーー
自分がこの居場所を立ち上げたのは2018年11月。日本ではひきこもり問題とともに、その居場所を作る活動が盛んになってきていて、その動きに注目していた頃だ。

自分も「庵(いおり)」というひきこもりの人の居場所に、何度も参加させてもらっていた。
庵にはとてもたくさんの人が訪れていて、いくつものグループに分かれて討論をする、とてもいい集会だった。
けれども自分は、雑談をするだけの集まりはできないかなと思っていた。

たまたま「最初から2次会」をモットーに、居酒屋などで雑談するひきこもりの居場所「いけふくろうの会」を開催していた伊藤書佳さんと知り合いだった。
そこで伊藤さんに、「討論やトークイベントなしで参加者が自由に駄弁りはじめるかどうか」を中心に詳しく聞いてみた。
そしてやってみるしかないということになり、場所を予約したのだった。


その前に、形態を決める必要がある。
最初は自分も、ひきこもりの人の居場所をやるのがいいのかなと思っていた。けれどもフリーランスの居場所だってあってほしいとも思った。
それならいっそのこと、対象は「つながりをなくしがちな人全般」、やることは駄弁りのみ、もちろん酒あり、で行こうと決心した。

この自分がやるのだから、優等生ぶったって何にもならない。
自分がやさぐれていた若い頃なら、真面目な居場所にはきっと行けなかった(実際に大学の学生課が開いている集まりを薦められたが、行かなかった)。そんな人のための居場所もなくちゃいけない
だから酒は飲む。


そして会の名前も必要だ。
「社会不適応者」に相当する言葉、「居場所」に相当する言葉をいくつか考えてつなげてみた。
「社会不適応者」と「社会不適合者」のどちらが正しいのかも迷った。けれども調べてみれば、どちらも正式な日本語ではない。それなら自分の感覚では圧倒的に「不適応者」が好きだ。「適応」できない・しないを問うているところがいい。適合するかどうかにはあまり関心がない。

さらに「庵」や「いけふくろうの会」のような居場所そのものの名前も考えてみた。
「スネイル」はどうかなとも思った。英語で「かたつむり」の意味だ。のろのろとマイペースで歩けばいいという意味で。
けれどもそれも、やけに真面目な支援活動っぽいなと思ってやめた。
結局「孤立者のスペース〇〇」の〇〇に相当する絶妙な名前は思いつかなかった。


また自分がやるのだから、支援活動にはしたくなかった。
もちろん自分もふくめ、みんなが居場所を必要とする当事者であるのがいい。


「居酒屋みたいなもんですよ」ともよく言っているとおり、見知らぬ客どうしが話をする昔の居酒屋も念頭に置いていた。
形態で思い描いていたのは、毎度書いてきたとおり花見だ。
今でも花見では知らない者どうしが隣り合わせて、駄弁っているではないか。あれを年中やりたい。


そしてこの緊張の告知文になった。



「うまくいきそうだったら、定期開催したいです」の一文が今読むと感慨深い。


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最後にこの会が必要だと考えた思想の部分を3点ほど。

1.家庭、職場、学校の3領域以外の居場所(サードプレイス)が日本社会に必要だと思ったから。『人間関係を半分降りる』に書いたとおり、日本ではそれらから降りた後、何もすることがなくなってしまうのが大きな問題だ。

2.ひとりでいるのが嫌な人が集まってたがいに話をするのは、もっとも簡単にできる助け合いだから。それをやらないのはもったいない。

3.0円ショップの経験から、つながりを求めている人は明らかに多いと感じていたので。ただし0円ショップは物をやり取りするのが大前提であり、その部分を取り払ってつながり作りだけで会ができないかと考えたため。



そして準備を整えた第1回の会場。人は来るのか。また一番心配だったのは、雑談が勝手に始まるのか。
何が起きたのかは『人間関係を半分降りる』を参照してください!

※写真は2回目からドアに貼ったり、ピクニックシートに置いたりしているネームプレート。

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