その頃いつも思っていたのは、「中身がギュッと詰まったものを出してくれないかな」ということだった。
接していた作品が多すぎたせいか、たいていのものを「つまらない」と感じていた。今にして思えば、必要以上にそう思っていた。
読んだり聴いたりするのも大変で(今とは違っていちいちお金もかかる)、薄いものを大量に出すタイプの作者さんには、「作品は少なくていいから、出したいもの、言いたいことをギュッと絞って出してくれれば」と思った。
(そうしてくれるとこっちも楽なのに、という勝手な願望なのだが)。
例えば、ビートルズのホワイトアルバムという2枚組のアルバムがある。
リンゴ・スターがのちにあれを「1枚でもよかった」と言っていた。ホワイトアルバムには珠玉の曲がたくさんあるのだが、確かにいつも飛ばしてしまう、わけのわからない曲も多かった。
自分なりに1枚だけのホワイトアルバムの曲目リストを作ってみると、あまりのカッコよさにしげしげとリストを眺めてしまったものだ(「ロックバンド・ビートルズ」が立ち現れた)。
ギュッと詰まっているというのはそういうイメージだ。
70~80年代に2~4年に1枚、ポツポツと大作アルバムを出すスタイルを取ったピンク・フロイドにも畏敬の念を感じた。そうなると絶対に外すわけにはいかないのだが、それらの大作がどれも捨て曲がなくて素晴らしく、大ヒットしていた。
『ア・ロング・バケーション』の大ヒット以降、出せば売れるのはわかっていながら、納得がいくまで決してオリジナルアルバムを出さなかった大滝詠一にも同じ思いを感じた(次のソロアルバムは3年後だった)
そうした作家たちへの畏敬の念から、自分もそうでありたいと思ったものだった。
ところがネット時代が到来して、すべてが変わった。
ある程度まとまった量のコンテンツを出さないと、WEBや検索システムなんかの都合でそもそも見向きもされない。
読む側が大変だから内容の詰まったものを、なんて言っていられなくなった。
WEBの影響を受けて、本そのものもそうなってしまった。
「内容の薄いものを大量に」というのは、作者の制作スタイルというより、技術的な要請として常識になってしまった。
同時に、量が多すぎる、全部読むのも大変という受け手の感覚もデフォルトになった。
デジタルネイティブなどと言われる世代には「内容のギュッと詰まったもの」なんて言っても、もう感じすらつかめないかもしれない。
そもそも詰まったアルバムなんて言っても、サブスクで聴く以上アルバム単位で意識する必要がないし、全然通じないかも。
いやまあ、それも一概に悪いとは言えないし、自分だってこういう状況になった以上、内容は詰まっているのには違和感があり、なるべく薄めに、出す頻度は多めにしようと思っているのだが。
したくても能力的にできないこともあり。
ただ90年代の自分については、こうしたことをバリバリ意識した結果の少作ではあった。
(その証拠に、『完全自殺マニュアル』の前書きの小見出しには、敬愛するピンク・フロイドと大滝詠一の作品タイトルを入れてある)。
※冒頭のジャケット写真は大滝詠一の『EACH TIME』。3年前の前作の『A LONG VACATION』同様、捨て曲なく中身が詰まっていて、ファンを泣かせた。
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