91年に物書きを始めてから、33年間にわたってフリーライター(フリーランスのライター)と名乗ってきた。
その肩書きを使い始めたのは、記事が無署名なのはもちろん、他のライターの下調べまでしていた下積み時代だった。
2年後に『完全自殺マニュアル』が売れて、署名記事が、そして自分の書きたいことが書けるようになってからは、他のマシな肩書きに変えることもできた。
けれども初心は忘れてません、自分はしょせん一介のフリーライターですよという気持ちで、これを使い続けてきた。
けれども30年も経った今になって、「フリーライター」はやめようかと思う。
すでに違う肩書きになっているのを見た人もいるかもしれない。
理由の第一は仕事内容が、実際に「フリーライター」という言葉から想像するイメージから離れてきたからだ。
フリーライター稼業と言えば、インタビューしたり現地に行ったり、取材して記事を書くというイメージは今でも強いと思う。
けれども『人間関係を半分降りる』以降は、取材もインタビューもしない書き手になってきたので。
そして第二の理由は、今のようなフリーランス自己宣伝・自己アピールの時代にあっては、そういう姿勢を取っていると損をするだけのように思えてきたからだ。
SNSの時代になって、フリーランスなら誰でも自分を宣伝しなければならない時代になった。
自己宣伝なんてかつては、巻末の執筆者PF欄に「どこの雑誌で連載してます」などと書く程度で、やろうと思ってもできなかった。だから考える必要すらなかった。
けれども今となってそれは誰もがやっていること。
そのなかにあってわざわざ自分を小さく見せるなんて、むしろ逆で、いいことがあまりない。
なんか無駄な努力のように思えてきた。
さらについでに書くと、自分は「〇〇マニュアル」なんていうタイトルやそれっぽい内容の本を書いてきたが、もちろんそれらはマニュアルやハウツー本の体裁を借りて作った、自分の考えを表現した本だと思っている。
昔はそんなことは言わなくてもわかってもらえたが、今は活動量が減ったので、本当に単なるマニュアルやハウツー本を書くフリーライターと思われてしまうかもしれないので。
というわけで、「鶴見済(フリーライター)」というこの慣れ親しんだ肩書は、「(文筆業)」あるいは「(作家)」なんかになるかもしれません。
去年から書いているあるテーマの本は、今年もできなかったけれども、来年こそは新しい肩書で出します。
この記事へのコメント