2007年08月28日

スポーツ用品はクールなのか?

no logo.jpgなぜ我々(特に男)は、スポーツをやるわけでもない人まで、日常的にバカ高いスポーツシューズやスポーツウェアを身につけることになってるんだろうか?

もともと「日常的なスポーツシューズ」の火付け役になったのはナイキとリーボックだった。
ナイキは90年代には若者、特に貧困層の若者をターゲットにして、「クールなもの」というイメージ戦略でバスケットシューズの売り込みに成功、スポーツ用品メーカとしてだけでなくアパレル(服飾)企業としても世界一となったのだった。

またナイキはいち早く、自社の製造部門を切り捨てて、賃金が安くて済み、労働者の権利も十分に認められていない地域(特にアジアの国々)の工場を使うという戦略を打ち出したことでも知られる。
そして会社としては、膨大な広告費を注ぎ込んで自らのブランドの宣伝ばかりを行うようになり、「グローバル企業の見本」となったのだった。
しかし同じく90年代には、女性や子どもに違法で非人間的な搾取労働を強いていたこともわかったため、本国アメリカやアジアで大々的な抗議・不買運動が巻き起こり、世界各国で大きく報じられた(が、異常なナイキブームに湧く日本ではほとんど知られなかった)。
それ以降ナイキは、「企業の社会的責任(CSR)」に取り組む風を装いだしている。

こうして、「貧しい国」では自分が身につけるわけでもないスポーツウェアやシューズを安い賃金で人々が作り、「豊かな国」の若者がそれを高い金を払って買わされる、というシステムが出来上がっているのだ。
これによって誰が得をしているのかは一目瞭然である。企業に決まってるのだ。

こうした搾取工場では、ナイキに限らず、リーボックやアシックスやアディダスなどの他社製品まで作っている場合も多い(仕様書どおりに作っていさえすれば、どの工場で作ろうが、そのブランドの製品になってしまうのだ)。
だからこうした問題は、仮にナイキ一社が若干態度を改めても解決する問題ではなく、グローバル経済というシステム全体の問題なのだからタチが悪い。放っておけば、今後もスポーツ用品に限らず、メーカーは世界の隅々にまでより安い労働力を求めて進出を続け、こういう「現代奴隷制」を拡大していくはずだ。

そして今気になるのは、最近小中学生までがスポーツ用品メーカーのロゴ入り商品を身につけているのを、割とよく見かけることだ。

「小さい頃からブランドに慣らしてしまえば、一生買い続ける顧客となる」というマーケティング戦略に、彼らがやられていなければいいんだが。


参考:ナオミ・クライン著、松島聖子訳 『ブランドなんか、いらないーー搾取で巨大化する大企業の非情』(原題“NO LOGO”) はまの出版。世界の反グローバリズム運動を先導した本。

posted by 鶴見済 at 10:13| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする