最近、自殺の原因を、その人の「心の弱さ」のせいにしなくなってきたのはいいことだ。
少なくとも自分が10~20代だった頃は、自殺をした人やしたい人(特に若者)に対して、「自殺は心の弱い者のすることだ」「もっと強く生きろ!」「尊い命を粗末にするな」「生きていることは素晴らしいんだ」「死ぬ気になれば何でもできる」「死ぬな!」……、といった説教が、世間一般からも教育・精神医学方面からも浴びせかけられていた(最近のいじめ自殺に対してこんなことが言えるだろうか?)。
自殺をはなから「いけないこと」と決めつけて、道徳的に自殺者を叱るようなことも普通に行われていた。
要するに自殺した/したい人の苦しさなんか、世間はわかっちゃいなかったんだと思う。
そんななかで「自殺は悪くない」「なんで自殺しちゃいけないんだ」と言うことは、そういう見方に反対することであり、「死にたいほど苦しいことがある」と訴えることでもあった(そういえば、そもそもそれを言い出すことですら、とんでもないタブーだったんだった)。
その甲斐あってかどうかは知らないが、今では自殺についても「生きづらさの問題」なんてことが頻繁に言われるようになった。2006年にできた自殺対策基本法でも、冒頭で「自殺を個人的問題としてのみとらえるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があると位置づけ」ている。
どうやら、一応の理解は得られたらしい。
けれども「生きやすい社会を作れ!」という掛け声どおりの努力がなされているかというと、決してそんなことはない。
この国の自殺者の数は、それまで2万から2万6千人の間を上下していたのに、98年に突然3万人の大台に乗って、以後8年間元の水準に戻っていない。そして、その原因は「経済・生活問題」による自殺が増えたことなのだ。
98年に自殺者急増の中心になった中高年層(特に50代)の自殺率は、ここ数年低下してきていて、それにつれて総数もやや減ってきてはいる。ただ20~40代の自殺者が減らないので、今でも3万人台という高水準が続いているようだ。
参考:「自殺の動向に関する一考察」 参議院常任委員会調査室・特別調査室 http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20070907/20070907079.pdf
この時期に登場した小泉政権やら安倍政権は、経済・生活苦による自殺をなんとかするどころか、「弱者切捨て」で「痛みを伴う」新自由主義的な改革を断行してきたし、今の首相もやはりそれを続けようとしている。
我々の生き苦しさは、認識されたのかもしれないが、実は相変わらず放っておかれたままなのだ。
こういう時には、ちょっとは生きやい世の中にするために、というより自分が生きやすくなるために、経済や政治についてもっと文句を言ったほうがいいと思っている。
図は年齢別自殺者数の年次推移(厚生労働省・人口動態統計より)