人間関係だけが「関係」ではない

ningenkankei.jpg自然界とのつながりや他の生き物との関係を実感することは、精神衛生面から見てもいいと思う。「人間関係」というものを絶対的なものでなく、相対的に見ることができるからだ。

そもそも、”human relations”という言葉は20世紀に入ってアメリカでできた言葉で、それを直訳した「人間関係」という日本語も、第2次大戦後に広まったものだ。今では、親子、兄弟、結婚相手、隣近所に、学校、職場、さらにはインターネット等々での人間関係までが加わって我々を圧倒している。
我々は人類史上でも特に「人間関係」的な時代に生きていると言える。生きる苦しさのほとんどが、人間関係から来ているという人も多いのではないか?

しかも今のような都市に生きるヒトには、自然界との関係がわかりにくい。
食べものは自分で獲らなくてもにカネで買えるし、他の生き物に襲われる心配もなく、排泄物もどこへ行くのかわからない。水は蛇口をひねれば出るし、電灯やエアコンで明るさや温度の調節もできる。
けれども我々は相変わらず様々な他の生き物を食べることで生きているし、排泄物は菌類・微生物によって分解還元されて、自然界に還っている。植物とは呼吸と光合成を通しても、酸素と二酸化炭素をやり取りしている。水や塩といった無機物も日々体のなかを通過しているし、地球の外からやってくる太陽光とは関係しないでいることなどできない。

こうしてヒトを単なる生物種の一種と見なし、自然界との関係を見なおそうという主張は、地球環境保護のために盛んにされてきてはいる。
けれども、人間関係が苦手な人にとっても、こういう見方は有効だと思う。

確かに自分がヒトである以上、人間関係は数ある「関係」のなかでも一番重要だし、ある程度苦手でもやらざるを得ない。
それでも人間関係だけが「関係」のすべてではない。人間どうしの関係や他人の内面にばかり目が向いているのも、それはそれでよくないのだ。“コミュニケーション能力”なんてものが低かったとしても、対人恐怖症であっても、一巻の終わりというわけではない。
そう思えば少しは気も楽になるというものだ。
自分はそういう意味でも、広く「関係全般」に目を向けることを提唱している。

参考:加藤秀俊著 『人間関係─理解と誤解』(中公新書)