毎日のエコロジー=反<灰色>

kodomotomukasibanasi.bmpカネを使わず、モノを買わない生活を目指していたことがある。
全然大したことをしてたわけじゃないので偉そうに言えたものでもないが、例えばどんなことをしてたのか書いてみると……

●極力外食をせず、簡単な弁当を作っていく。●自分で作れる程度の野菜は作る。●買う肉は全部、魚の粗(あら)●電車に乗らないで済むところは、自転車や徒歩で行く(電車代は結構高い)。●CDや本や雑誌、ビデオやDVDも、図書館で借りて済ませる。●旅行に行くより地元をよく見る。●近所の人と物々交換する。●イベントや講演などは地域で無料でやっているものに行く。●細々とした生活用品は作る(例えば、タオル掛をそこらの木の棒と紐で作ったりする)。●生ゴミは肥料にする。●タダの自然物を見て楽しむ。●冷暖房は最小限に止める。等々。

実によくある「地球のためにあなたができること」集みたいだけれども、なぜかモノを買わないようにするとそういうことになっていくのだ。
あまり無理をしすぎると苦しくなり、長続きしないんだが、何事も今あるもので間に合わせる工夫をしたり、自分のいる地域や自然に目が向くようになってはきた。


小沢健二の『うさぎ!』の連載が始まったのは、そんなことを始めた頃だったかと思う。
この話に出てくる最大の悪者(と言っても人ではない)<灰色>は、「すべてのひとのするすべてのことを、急いで『大きなお金の塊』につなげてしまおうと」する。確かにこうしてあらためて見てみると、我々は自分でできることまでカネで人にやってもらったり、買わなくてもいいようなモノを買ったりしてしまっていた。
自分の子供の頃に比べても、<灰色>の「もう古いの計画」は着々と進行していて、我々は『うさぎ!』に書かれているように、まんまとイメージで心をあやつられて、次々と「買い捨て」をさせられていたのだった。


買うことに興味を失うと、いわゆる「最新商品の情報」(特に音楽の)にはすっかり疎くなったけれども、そんなことで騒いでいる世間を傍観者的に眺め、疑問を持てるようにもなった。
それらの商品は、どんな資源からどこでどうやって作られ、運ばれ、買われ、捨てられ、どこに行くのか? そういうネットワークは、今どこまで広がっているのか? こんな無駄なことをやっていたら、どこかにその「しわ寄せ」が行ってるんじゃないか?


確かに「しわ寄せ」はあった。自分たちがやっているこの「カネを払って済ませる生活」は、ある意味で世界で生じている「不平等」や「環境破壊」の上に成り立っていた。資源はもちろんどんどんなくなっていて、こんなことはまるっきり「持続可能」じゃなかったのだ。
一方で、いわゆる「豊かな国」に生きている我々だって、本当に豊かなのかというと決してそんなことはなく、「時はカネなり」と急かされたうえに格差まで拡大してきて、常にうかうかしていられないという生き苦しさなのだ。
特に「絵本の国」(日本のことだと思う)の不幸については、『うさぎ!』に詳しく書かれていて、身につまされる。


そもそも単純な事実として、我々ヒトは生物の一種であって、自然界の一部分にすぎない。人間の世界で「勝ち組」になろうが、ゴールドマン・サックスの社員になろうが、そういう「つながり」なり「全体性」なりを奪われているのなら、それだけでも十分に不幸なはずなのだ。
それはこの「<灰色>がつくり出す世界」の仕組みのなかにいる誰にでもあてはまることなんじゃないか?


『うさぎ!』で扱われている問題は人間社会全般に及んでいて、自分としても意見が異なる部分はある。が、本気でこの仕組みをなんとかしようと思っているであろう小沢健二に反対であるはずがない。


注:これは『毎月の環境学会々報』という同人誌の第4号に依頼されて書いた原稿を、多少直したもの。『うさぎ!』は『子どもと昔話』(小澤昔話研究所刊)という雑誌に連載されている童話形式の物語で、原稿はすでにこれを読んでいる読者を想定した書いた。
この雑誌は図書館の児童書コーナーに置いてあることもある。
ちなみに小沢健二の現時点での最新アルバムのタイトルは、『毎日の環境学 Ecology of Everyday Life』である。