2014年05月02日

都市コモンズを取り戻すために 『反乱する都市』書評

1310_harvey.jpg都市全体をコモンズと捉える視点が新鮮だった。そして私有化され奪われたコモンズは、取り返さねばならない、と。
それにしても、産業革命期のイギリスから、現代の中国をはじめとする「新興国」にいたるまで、なぜこうも同じように人は農村から都市へ流出して工業発展の下地作りをするのか? この流れは絶対なのか? ローカル化など起きないのか? その当然の結果としての世界的なスラムの拡大をどうすればいいか? 色々考えさせられる。分厚くて難しいが、面白い。

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人類は現在、急激な都市化の真っ只中にある。国連の予測では、二〇三〇年には全人類の六割が都市に住んでいることになる。都市化は特にアジアをはじめとする「南」の国々において顕著で、人口一〇〇〇万人以上のメガシティが続々と生まれている。ローカル化が叫ばれてはいるものの、これが現状だ。

本書では都市が作られていくこと自体を、資本の発展過程と見なして、その観点から世界の都市における反乱を概観している。著者は、マルクス主義を下敷きにした都市論や新自由主義批判の論客であるデヴィッド・ハーヴェイである。
そもそも金融から建設業に資金が流れることによって都市空間は拡大し、それが資本主義のさらなる発展の基礎となる。それゆえに都市には階級が、つまり少数の「占有する者」と「される者」が生まれる。日本でも都市の再開発は、野宿者の排除や古い商店街の立ち退き問題と不可分であることを思い起こさせる。世界の巨大都市におけるスラムも爆発的に拡大していて、人類の格差の象徴となっているのだ。
また著者は、一般的には自然環境に対して用いられる「コモンズ」という概念を都市にも当てはめる。確かに都市は、誰もが自由にアクセスできる共有物であるべきだが、ゲーテッドコミュニティに代表されるように、占有化の悲劇に苛まれている。こうして「都市への権利」を求める闘争が起きる。著者はその最新型を、カイロのタハリール広場、マドリッドのソル広場、ニューヨークのズコッティ公園などでの反乱に見る。これらは都市における平等を求める、反資本主義的な闘争でもある。著者はこうした都市革命の重要性を強調する。

まったくその通りだ、しかし、と思う。都市における平等は必要不可欠だが、仮にそれが達成されたとしても、やはり人類は都市への流入をやめないのだろうか? それでは根本的な解決にはならないのではないか? どこかの時点で人類が地方に分散しはじめることこそ、真に革命的な出来事であるように思える。
(『オルタ』2013年7月)
posted by 鶴見済 at 17:49| レヴュー | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

実は不正貿易批判の本『フェアトレードのおかしな真実』書評

1106322257.jpgあたかも環境にいいかのように装うこと、例えばほんの少しだけ環境にいいことをすることで、自社の環境破壊をごまかそうとすることを「グリーン・ウォッシュ」と呼ぶ。同様に、フェアトレードに配慮しているかのように装うことを「フェア・ウォッシュ」と呼んだりする。
この本を読むと、欧米ではそうしたグリーン・ウォッシュ、フェア・ウォッシュが溢れていて、そのせいでフェアトレードや倫理的ビジネスに文句を言いたくなるのだろうなと思わせる。頻繁に目にするフェアトレード認証ラベルの問題点も気になるところだろう。『コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語』もそんな批判を展開していた。
けれども、企業がフェア・ウォッシュすらしようとしない、認証ラベルですらめったにお目にかかれない日本で、その批判だけを輸入して声高に論じても意味がない。トレードそのものへの批判が広まって、「ウォッシュ」程度でもいいから企業が不正貿易を気にかけるようになるまでに持っていくことが当面の目標だ。
この本の原題は『Unfair Trade』であり、倫理的ビジネス批判も含んではいるものの、主要部分は不正貿易批判と言える。

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タイトルにあるようなフェアトレード批判だけの書ではない。英国のテレビキャスター、ジャーナリストである著者が、「北」の市場に食料や製品を供給する「南」の生産現場を訪ねた秀逸なルポルタージュだ。その現場から、貧困や環境破壊に配慮しているとされるフェアトレードなどの「倫理的」ビジネス全般の有効性を検証している。
 米国向けのロブスター漁が行われるニカラグア、電子機器の製造を支えるコンゴのスズ鉱山と中国の工場、麻薬の原料となるケシからサフランへと作物転換を試みるアフガニスタン。ラオスのゴム、タンザニアのコーヒー、コートジボワールの綿…。貧しい村々や紛争地に赴き、ブラックマーケットにも果敢に乗り込む取材力は見事だ。

ただしそこから著者が導くのは、グローバル資本主義が貧者を搾取している、という結論ではない。むしろ「資本主義は人々を貧困から救うもっとも有効な手段」と主張し、既存の承認に頼らずに独自の「倫理的」なビジネスを開拓する起業家たちに希望を見出す。
なぜならこれらの現場では、「倫理的」ビジネスが必ずしも貧者の役に立っているとは言えないからだ。危険に身をさらしても、武装集団の資金源になろうとも、より実入りのいい仕事を選ぶほかない人々がいる。こうした事実は「倫理的」ビジネスの支持者も真摯に受け止めねばならない。   
また「倫理的」という承認ラベルを利用した大企業のイメージ戦略や、それを取り扱うフェアトレード財団などへの批判も手厳しい。

ただこうした批判が、今の日本にそのまま適用できるかどうかは別の問題だ。フェアトレードも認証ラベルもそれほど普及していない日本では、まずは「非倫理的」ビジネスが「南」で行っている搾取の実態が知られるべきだろう。本書はそのためのテキストとしても絶好だ。われわれの社会は、まだその段階に止まっている。
(2013年10月共同通信配信)
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2014年04月02日

新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評

51SWyFzNj8L__SL500_AA300_.jpgキッパリとした「だるさの肯定」がいい。面倒臭いものは面倒臭いのだ。そして脱成長、つながり、贈与等々は、環境系の人たちの専売特許ではない。こうした方面からも働きたくないという脱成長、ネットを通した新しい「つながり」、新しい形の贈与や共有が追求され実践されている。自分好みの価値観と言える。

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日本人ほど頑張ることが好きな国民が他にいるだろうか? 日本が工業製品の輸出に特化できた理由は「勤勉な労働力が豊富にあったから」というのが定説であり、電車は日夜分刻みの比類のない正確さで運行している。「頑張ります」「頑張ってください」という言葉抜きには、日常会話さえ難しい。
けれども我々はいつまで頑張らなくてはいけないのか? 頑張って技術を進歩させ生産効率を上げたのに、働くのが楽にならないのはおかしいではないか。

ニートの生き方について書かれた本書は、この社会を支配する“努力教”に対して、「そんなに働かなくていい、もっといい加減でいい」と反旗を翻す。現在三三歳の著者は通学や通勤が苦手で、就職しても社内での仕事がほとんどなく、こんな人生は嫌だと三年ほどで退社。その後は住居など生活上のインフラを最少限にとどめ、共有や贈与や小さなコミュニティを大切にしながら暮らしている。生活の中心にあるのはインターネットで、必要なお金はネットでの広告収入などで賄っている。
こうした生き方を選んでいる人は、最早少数ではない。そして社会の表舞台にこそ登場しない彼らのなかでも著者が異彩を放つのは、ネガティブに見られがちな働かない生き方を肯定的に捉えかえし、その正しさを堂々と主張しているところだ。

さらに著者は、オープンソースのプログラムの方法論を取り入れて、独自のシェアハウスの運営の仕方をネット上に公開し、勝手に広めてくれる人を増やしている。こうして現実の社会を生きやすく改造(ハック)することが、著者なりの社会変革なのだ。
 高度成長期に全員に押しつけられた生き方が、今でも最善であるはずがない。むしろその頑張る空気こそが、この社会の生きづらさの原因なのではないか。著者に限らず、ますます多くの人がそう感じているはずだ。
(『東京新聞』2012年9月23日)
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できることがあると教えてくれる本『コンバ』書評

51+Hiul7aFL__SL500_AA300_.jpgこれまでに書いた書評などのなかから、ここでも紹介しておくべきものはアップしていこうと思う。やや遅きに失した感があるけれども。
まずはマティルド・セレル著、鈴木孝弥訳の『コンバ』から。反抗のために誰にでもできることが書かれている本。
ちなみにseesaaブログの機能が劣化してしまい、文字の大きさを細かく調整できなくなったため、見苦しくて申し訳ない。劣化反対。

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間接民主制の社会なのだから、社会をよくするためには政治を変えねばならず、我々は政治家を怒鳴り続けていなければならない──。もちろんその通りだ。けれどもそのことだけにとらわれていると、自分では何もできないような気がしてくる。そんな時に、本当はできることなどいくらでもあると気づけば、途端に世界は一変して見えるだろう。直接行動を知ることの大きなメリットはそれだ。

本書は、そんな普通の人にもできる直接行動の方法を網羅した実践のためのテキストだ。著者はフランスのジャーナリスト/ラジオ・パーソナリティのマティルド・セレル。パリのFM局“ラジオ・ノヴァ”で彼女が毎日放送していた人気コーナーの内容がまとめられている。
ゴミ箱に捨てられた食べ物を回収しよう。シャワー中におしっこをしてトイレの水を節約しよう。いいことをしている店に大勢で詰めかけて、大繁盛を演出しよう。さらには、強制国外退去になる移民を飛行機から降ろしてしまおう、などという大それたものまで。環境破壊や人権侵害や経済的搾取に反対しながらも、まったく優等生的ではない88ものアイデアは、読むだけでも解放的な気分になる。けれどもそれらは著者の奇抜な思いつきではなく、すでに広く行われていたり、綿密な計算のもとに提唱されたものだ。こうした直接行動は、2000年代に入って欧米で盛んに行われるようになっており、その方法も広く共有されている。

そして是非この本の膨大な註釈に圧倒されてほしい。異議申し立てが根づいていない日本とはまるで違う、フランスという国の空気を感じ取ることができる。同時に、デモや抗議に足しげく通いつめ、ドラムを叩く訳者・鈴木孝弥氏の抵抗の戦い(コンバ)への誘いが行間から溢れてくる。その熱意がなければこんな註釈は書けない。こういう力作は、無力感に苛まれている多くの人に読んでほしい。

(『ミュージックマガジン』2013年5月号)
posted by 鶴見済 at 12:05| レヴュー | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

書評:『西表炭坑写真集』

iriomote.jpg書評:『西表炭坑写真集』(三木健編著 ニライ社)

  
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日本の南西端に近い西表島は、今エコ・ツアーで人気上昇中のスポットだ。海(サンゴ礁)と干潟(マングローブ)と山(亜熱帯林)の生態系がなだらかにつながっていて、地球生態系のコンパクトなショーケースみたいだ。
自分が行った場所のなかでも、かなり好きなほうではある。

ならば西表は、手つかずの自然が残る、秘境で楽園な島なのか? 違う!

西表島がヒトでもっともにぎわったのは、実は1930〜40年代頃の「石炭ラッシュ」の時なのだ。
この島は古い地層が隆起してできていて、1500万年前の石炭層が露出している。それに目をつけた炭鉱会社と、甘い言葉につられてやってきた坑夫たちが、亜熱帯林のなかに一大炭坑村を作りあげ、当時の人口は今をはるかにしのいでいた。

そして、彼らの多くは重労働とマラリアと、とどめの戦争で、島から逃げ出すこともできずに死んだのだ。
当時の新聞によると、楽園どころか、「孤島の生地獄」だったそうだ。

炭坑跡地に行ってみたら、廃墟はわずか半世紀の間に亜熱帯植物で完全に覆われていた。足元にはジャリジャリと真っ黒い石炭がある。坑夫たちの死体も、供養されずに埋まっているはずだ。石炭さえなければ、この島もこんな歴史を持たずにすんだのにと思うと、ため息が出た。

ヒトはなぜか、地下資源に群がる生き物だ。
金、銀、銅、ダイヤモンド……もそうだが、なかでも、石炭、石油、ウランあたりの「燃料」は、ヒト界の国際政治を今も左右している。
もともと、地下に埋まっているエネルギー源を、競って掘り出さなきゃやっていけない生物であることがどうかしてるんだがなぁ。
それはそれで、自然界に翻弄されているとも言えるわけだが。

ラベル:西表島
posted by 鶴見済 at 20:18| レヴュー | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

書評:『社会学入門』

?w.jpg書評:『社会学入門ーー人間と社会の未来』(見田宗介著 岩波新書)

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全体を一度に言うのは無理なので、とりあえずこの本の白眉と言える、第六章『人間と社会の未来』についてだけ。

ヒトという生物種にとって、近代という時代は、その個体数の増え方から見て、爆発的な繁殖期だった。そして今は、その人口増加の時期を少し過ぎて、横ばいになりかかっているという。
どんな生物でも、その適応できる範囲一杯に広がってしまったら、無限に繁殖し続けるのではなく、あとはこうして増加を減らしていくそうだ。
つまり自分たちは、人類史上においても、無限に成長していく夢が破れた、かなりしょぼくれた時代に生まれついてしまったというわけだ。

こういう人間社会の重要な問題を、生物学的な(つまり絶対的な)根拠をもって説明してしまうところが、他の人には真似できないところだ。

そしてこうした人間の歴史は、1原始社会、2文明社会、3近代社会、4現代社会、そして5未来社会の5段階に分けられ、我々現代人は、それらの各段階に対応して、0生命性、1人間性、2文明性、3近代性、4現代性の五層構造を持っているという。つまり自分のなかには、生物としての自分、人間としての自分、文明人としての自分、近代人としての自分、現代人としての自分、がすべて生き続けているわけだ。
こういうふうに、「現代社会」や「現代人」を”重層的”にとらえることが、決定的に重要だとされる。
歴史は、それ以前のものをすべて否定した上にできるのではないのだ。

そして、我々の未来社会は、これらの層の上に築かれる。
それは「有限なものを無限なものであるように幻想することをとおして有限に終わるシステムではなく、有限なものを有限なものとして明視することをとおして無限に開かれたシステム」であるはずだという。それが「どのように思いがけない形態をとるものであっても」。
これは、人ひとりの人生にも当てはまるんじゃないかとも思ってしまった。


──と、一章だけに絞ってみても、やはり言い尽くせないわけだが。

自分たちの未来がシケているように感じるのにも、理由がないわけではないこと。今でも無限の成長の夢にしがみついている人のほうが、もはや時代にそぐわないのだということ。
あるいは、我々の理想的な未来社会を構想する時に、どれかひとつの段階をすべて否定したり、すべて肯定したりする必要はないこと……等々。

こういう、ホッとするような結論を導いてくれたりするところがまた、自分の精神衛生上よかったりもする。
ラベル:社会学
posted by 鶴見済 at 19:34| レヴュー | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

書評:『海の帝国ーアジアをどう考えるか』

umino teikoku.jpg書評:『海の帝国ーーアジアをどう考えるか』 (白石隆著 中公新書) 

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実はこの本を読むまで、地球のメインの部分は「陸」であって、残りの「海」は余白のように思ってたかもしれない。
けれども、ヒトの主要な交通手段は、昔から「船」だったわけで(あとは馬とか)、列車や自動車、ましてや飛行機なんかが出てくるのは近代に入ってからだった(日本で空路の海外旅行が始まったのなんか、1970年代だ)。

そう思って世界地図を、海をメインにして白黒反転させて見ると、実に色々な「海上の道」(by柳田国男)とその港である大都市が浮かび上がってきて、面白かった。

この本の著者は、東南アジア研究の専門家である。
確かにインドネシアのような国の形は、海を中心に見てみないと、なぜそうなってるのかわからない。
そして、東南アジアも含む東アジアの臨海部(というかオセアニアも含む西太平洋)が、ひとつの大きな文化・交易圏となってきたことが説かれる。
(こんな風に、ヒトの文化圏も地球地理的に決まってしまうものなのだ。)

しかしその文化圏も、欧米列強によって半植民地化され、ここ50年はアメリカのヘゲモニー下にある。日本はその傘の下でbQとしてやってきたわけだ。では今後、アジアは、日本は、どうしたらいいのか?

著者によると、アメリカがアジアにおけるヘゲモニーを放棄することは、当分考えなくていい(そうでなければ中国が覇権を握ることになるが、それもまたありえない、と言う)。
そこで日本は、50年くらいの時間をかけて、(急にではなく)ゆっくりと「アジアの中の日本」に戻っていくのがいいとしている。

2000年に出版された本だが、今でも実に妥当な提案だ。
アメリカが現実的にヘゲモニーを手放さないからという理由だけで、それを認めてしまうのであるなら、それはおかしい。そんなことでは、いつまでもアジアの富をアメリカに持っていかれ続けるだけだからだ。
しかしこの著者は、そういった”理想像も持たない、行き当たりばったりの現実主義者”でもない。あまり反論の余地がないかもしれない。

しかし実際の日本は、より親米色を強めて、bQの地位を強化しようとしている。
こういうことだと、アジアの自立への道は一層険しい。日本のメリットにもならないはずだがなぁ。

ラベル:アジア
posted by 鶴見済 at 21:11| レヴュー | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

書評:『スロー・イズ・ビューティフル』

slow is beutiful.jpg書評:『スロー・イズ・ビューティフルー遅さとしての文化』(辻信一、平凡社ライブラリー) 

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近代・現代社会の様々な問題点を、「スピードが速すぎる」というポイントに絞って、「遅くしていく」ことでそれらを解決しようと提案している本。
実にホッとする。まったくその通りだ。

「早くしろ! 急げ! 頑張れ!」とあおられるのにうんざりした人にとっての「人生論」としても、地球環境問題を憂えている人へのガイドとしても、幅広く支持されてると思う。

また、全編に散りばめられた環境問題的なデータ(例えば、”今やこの国は二三人に一台の割合で自販機をもつ自販機大国だ”、とか)は、気がつかなかったけれども、よくよく考えてみれば由々しいことばかりで、まるで広瀬隆氏の『危険な話』を読んだ時にも似た驚きを覚えた(実際に『危険な話』の時のように、この本を知人に紹介するという動きがあった気もする)。

戦争になりそうな時とか、「スローなんて言ってる場合じゃない」時期も世の中にはあるだろう(今がそうなのかもしれない)。
が、そのくらいのことでは否定されない、幅広く奥深い効果を、「スロー」という提案はも持っていると思う。

ラベル:スローライフ
posted by 鶴見済 at 11:38| レヴュー | 更新情報をチェックする

2006年10月31日

書評:『大日本帝国の時代』

daibnihonnteikoku.jpg書評:『大日本帝国の時代ー日本の歴史8』
      (由井正臣著 岩波ジュニア新書)

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あとがきに書かれている、
「そしてなによりも、二十世紀になってから、日本ほど長期にわたって侵略戦争を続けてきた国はほかにはありません。」
の一文を読んで、そうだよなぁと思った。
この国は、太平洋戦争だけでなく、日露戦争、韓国併合、日中戦争……と、半世紀にもわたって、ずーっと途切れなく、侵略戦争をやってきたんだった。確かにそんなことは、ナチスドイツだってやってない。
ここに書かれているのは、非常によくまとめられた、その詳細な記録。

戦場や空襲での悲惨な話だけでなく、国内(銃後)で起きていた忌々しい出来事もちゃんと書かれているところがいい。
”隣組”による相互監視や密告の強要。愛国婦人会に大政翼賛会。小学校が軍事教育しかしなくなったこと。敗戦の直前に、武器もないのに本気で準備された本土決戦「全軍刺し違え戦法」。そして敗戦直後には一転して「一億総懺悔」の強調……、等々。

地獄だな、と思う。マジで狂っている。こんなことが本当に起きるのか、と呆然とする。
日本の戦争についての入門書としては、ベストだと思う。 まずどこの図書館にも置いてあるので、借りて読める。
「ああ戦争は嫌だなぁ」と、つくづく思えてくる本。
ラベル:大東亜戦争
posted by 鶴見済 at 18:35| レヴュー | 更新情報をチェックする