『負債論』──物々交換はなく「貸し借り」があった

お金と人類の歴史を、利益第一主義批判の立場からまとめるという壮大なテーマの本。 以下はこの本の内容と、ところどころ自分の考え。著者はアナキストのデヴィッド・グレーバーで、本の厚さは辞書並み。 負債があるというのは、それほど罪深いことなのだろうか。 かつての社会では「貸し借り」や「つけ払い」が当たり前で、誰でも誰かに「借り」(負債)がある状態が普通だった。それが歴史的に見ても、罪悪と見なされたり、あるいは人を奴隷のように支配するための道具となることがある。 お金での売り買いとは、その場で決済するシステムだが、お金が登場したあとも、貸し借りやつけ払いは普通に行われた。 しかし資本主義の社会になってからは、負債の罪悪化は決定的となった(例えば債務国の惨状を見ればわかる)。というのが、この本のメインの主張と言える。 真っ先に否定されるのは、お金がない頃、人々は物々交換をしていたとする有名な説。過去にも現在にも、物々交換の社会というものは存在しない。これは等価交換・即時決済という今の常識を過去にまで投影したかった、アダム・スミスの誤った説から来た。 では物々交換でないなら何なのかというと、「貸し借り」だった。後でその借りを返すことを前提として、人々は物を受け取っていた。 これは時間差のある物々交換とも言えるが、このほうがはるかに「ありそう」に思える。 贈り物をもらえば「お返しをすべき借りがある」と思えるし、物でなくても、助けたり手伝ったりしてもらえば同じように「借り」の気持ちが…

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金なし生活者スエロと「労働と消費」の人生

『スエロは洞窟で暮らすことにした』という本について以前に記事を書いた。 スエロはアメリカのユタ州で一切お金を使わずに、洞窟のなかで暮らしている。彼はお金が生み出す様々な不安や不正と決別するために、お金を手放したのだが、彼ほどではなくてもお金に依存した生き方に疑問を持つ人は多いだろう。 お金を払ってほとんどのことを人にやってもらい、その分働いてお金を稼ぐこと、つまり「労働と消費」が我々の生の営みになっている。 労働時間と消費がどちらも減っているのだから、こうした人生への見直しが進んでいるとも見れる。ただしお金への依存が進んでいる側面もあるので、簡単には言えない。 「少労働、少消費社会」を目指したい。 以下は『scripta』という雑誌に2014年の夏に書いた記事。 ******************************************* 自分にも多少身に覚えがあるのだが、なるべくお金に頼らずに生きるのは決して楽なことではない。野菜を育てるのも、飲食店で食べるのをやめて弁当を持参するのも、物をなるべく買わずにどこかで調達してくるのも、どれも面倒だ。お金とは本来生活を便利にするための道具だったのだろう。けれども、何もかもお金任せにせず、自分の手でやってみたほうが「生きることへの興味」が湧いてくるように思える。賃労働と消費の生活を続けていれば、食べていくことはできるかもしれないが、肝心の「生きることへの興味」がなくなってしまうのではないか。思えば、自分が賃労働生活から降…

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『おいしい資本主義』書評と個人の意見の大切さ

著者である朝日新聞の名物記者の近藤氏が、米作りに挑戦し、資本主義批判と脱成長論を展開している本の書評を書いた。 主張にはとても納得がいくのだが、「エコ」や「スローライフ」、さらには「まじめな人たち」への違和感まで自粛せずに書いていて、それがさらに本の主張をより独自のものにしている。こんなテーマの本にそれを書く人間が他にいるだろうか? 苦しければ苦しいと書き、納得いかない説には納得しない。いいことしか書かないのが普通の世界では、これは新鮮だ。個人の考えをちゃんと言うのはいいものだな、などと思えてくる。本の主張そのものより、その姿勢のほうに心を動かされたりする。 2015年の秋、『東京新聞』に書いた書評。 ********************************* 衣食住のすべてをお金で買っている我我にとって、働くことはそのお金を手に入れるためのやむをえぬ手段にすぎない。お金にならない仕事はどんなに意義があっても、「食べていくために」諦めざるを得ない。しかしその諦めが蔓延した社会では、生きていくことはできても、肝心の生きたいという動機自体が失われるのではないか。 それならば、最低限自分の「食べていく」ものだけは作り、あとはやりたい仕事をやるという生き方はできないか。本書はまさにこれを実践しようと、長崎の支局へ異動した名物記者が、本業の傍ら毎朝一時間だけ自らの米を作ってみたルポとアジテーションの書だ。 ここで秀逸なのは、違和感があればどんな正論にも真っ向から異議を唱えていく…

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ロックという音楽、下層の生きやすさ、ブレイディみかこ新刊の書評

ブレイディみかこさんの『花の命はノー・フューチャー』の書評を書いた。 文中にもあるけれども、自分はかつてどうしようもなくきつくなった時には、ロンドン・パンクスたちのやけくそでふざけた曲をよく聴いていた。セックス・ピストルズの『スウィンドル』やキャプテン・センシブルのソロなんかがそうだ。こういうものを聴いて笑ってしまうのがよかった。 かつてロックは貧困者、移民、精神異常者、性的少数者、邪教徒など有象無象のはみ出し者たちの鬱憤を飲み込んでいて、聴いていて楽になった。自分はそういうところから世界を学んだのだと思うし、ロック以上に自分を救ったものはない。そこに込められたマジョリティーにならなかった者たちの感情は、日本に暮らす自分の日々を支えた。 イギリスにはたくさんの移民がいて、それはかつて世界中に植民地を抱えた大帝国だったからだ。イギリスのロックがレゲエやダブをうまく取り込めたのは、かつての植民地であるレゲエのふるさとジャマイカからの移民がたくさん住み着いていたからだ。 自分はロックの雑種性のなかに、「下層」を余儀なくされた、あるいは選んだ人間たちの連帯や反抗を感じていた。少なくとも自分はそういうものだと思って勝手に勇気づけられていた。今は少し違うものになっているように思えるが。 ブレイディみかこさんのこの本にも、まるでかつてのやけくそのパンクを聞いた時のような爽快感がある。 それは彼女がイギリスの貧困地区に暮らす、彼の地では差別されるアジア系移民だからでもあるだろう。 これは…

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都市コモンズを取り戻すために 『反乱する都市』書評

都市全体をコモンズと捉える視点が新鮮だった。そして私有化され奪われたコモンズは、取り返さねばならない、と。 それにしても、産業革命期のイギリスから、現代の中国をはじめとする「新興国」にいたるまで、なぜこうも同じように人は農村から都市へ流出して工業発展の下地作りをするのか? この流れは絶対なのか? ローカル化など起きないのか? その当然の結果としての世界的なスラムの拡大をどうすればいいか? 色々考えさせられる。分厚くて難しいが、面白い。 ********************************** 人類は現在、急激な都市化の真っ只中にある。国連の予測では、二〇三〇年には全人類の六割が都市に住んでいることになる。都市化は特にアジアをはじめとする「南」の国々において顕著で、人口一〇〇〇万人以上のメガシティが続々と生まれている。ローカル化が叫ばれてはいるものの、これが現状だ。 本書では都市が作られていくこと自体を、資本の発展過程と見なして、その観点から世界の都市における反乱を概観している。著者は、マルクス主義を下敷きにした都市論や新自由主義批判の論客であるデヴィッド・ハーヴェイである。 そもそも金融から建設業に資金が流れることによって都市空間は拡大し、それが資本主義のさらなる発展の基礎となる。それゆえに都市には階級が、つまり少数の「占有する者」と「される者」が生まれる。日本でも都市の再開発は、野宿者の排除や古い商店街の立ち退き問題と不可分であることを思い起こさせる。世界の巨大都市…

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実は不正貿易批判の本『フェアトレードのおかしな真実』書評

あたかも環境にいいかのように装うこと、例えばほんの少しだけ環境にいいことをすることで、自社の環境破壊をごまかそうとすることを「グリーン・ウォッシュ」と呼ぶ。同様に、フェアトレードに配慮しているかのように装うことを「フェア・ウォッシュ」と呼んだりする。 この本を読むと、欧米ではそうしたグリーン・ウォッシュ、フェア・ウォッシュが溢れていて、そのせいでフェアトレードや倫理的ビジネスに文句を言いたくなるのだろうなと思わせる。頻繁に目にするフェアトレード認証ラベルの問題点も気になるところだろう。『コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語』もそんな批判を展開していた。 けれども、企業がフェア・ウォッシュすらしようとしない、認証ラベルですらめったにお目にかかれない日本で、その批判だけを輸入して声高に論じても意味がない。トレードそのものへの批判が広まって、「ウォッシュ」程度でもいいから企業が不正貿易を気にかけるようになるまでに持っていくことが当面の目標だ。 この本の原題は『Unfair Trade』であり、倫理的ビジネス批判も含んではいるものの、主要部分は不正貿易批判と言える。 *********************************** タイトルにあるようなフェアトレード批判だけの書ではない。英国のテレビキャスター、ジャーナリストである著者が、「北」の市場に食料や製品を供給する「南」の生産現場を訪ねた秀逸なルポルタージュだ。その現場から、貧困や環境破壊に配慮しているとされるフェアト…

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新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評

キッパリとした「だるさの肯定」がいい。面倒臭いものは面倒臭いのだ。そして脱成長、つながり、贈与等々は、環境系の人たちの専売特許ではない。こうした方面からも働きたくないという脱成長、ネットを通した新しい「つながり」、新しい形の贈与や共有が追求され実践されている。自分好みの価値観と言える。『東京新聞』に書いた記事。 ******************* 日本人ほど頑張ることが好きな国民が他にいるだろうか? 日本が工業製品の輸出に特化できた理由は「勤勉な労働力が豊富にあったから」というのが定説であり、電車は日夜分刻みの比類のない正確さで運行している。「頑張ります」「頑張ってください」という言葉抜きには、日常会話さえ難しい。 けれども我々はいつまで頑張らなくてはいけないのか? 頑張って技術を進歩させ生産効率を上げたのに、働くのが楽にならないのはおかしいではないか。 ニートの生き方について書かれた本書は、この社会を支配する“努力教”に対して、「そんなに働かなくていい、もっといい加減でいい」と反旗を翻す。現在三三歳の著者は通学や通勤が苦手で、就職しても社内での仕事がほとんどなく、こんな人生は嫌だと三年ほどで退社。その後は住居など生活上のインフラを最少限にとどめ、共有や贈与や小さなコミュニティを大切にしながら暮らしている。生活の中心にあるのはインターネットで、必要なお金はネットでの広告収入などで賄っている。 こうした生き方を選んでいる人は、最早少数ではない。そして社会の表舞台にこそ登場しない…

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できることがあると教えてくれる本『コンバ』書評

これまでに書いた書評などのなかから、ここでも紹介しておくべきものはアップしていこうと思う。やや遅きに失した感があるけれども。 まずはマティルド・セレル著、鈴木孝弥訳の『コンバ』から。反抗のために誰にでもできることが書かれている本。 ちなみにseesaaブログの機能が劣化してしまい、文字の大きさを細かく調整できなくなったため、見苦しくて申し訳ない。劣化反対。 ******************** 間接民主制の社会なのだから、社会をよくするためには政治を変えねばならず、我々は政治家を怒鳴り続けていなければならない──。もちろんその通りだ。けれどもそのことだけにとらわれていると、自分では何もできないような気がしてくる。そんな時に、本当はできることなどいくらでもあると気づけば、途端に世界は一変して見えるだろう。直接行動を知ることの大きなメリットはそれだ。 本書は、そんな普通の人にもできる直接行動の方法を網羅した実践のためのテキストだ。著者はフランスのジャーナリスト/ラジオ・パーソナリティのマティルド・セレル。パリのFM局“ラジオ・ノヴァ”で彼女が毎日放送していた人気コーナーの内容がまとめられている。 ゴミ箱に捨てられた食べ物を回収しよう。シャワー中におしっこをしてトイレの水を節約しよう。いいことをしている店に大勢で詰めかけて、大繁盛を演出しよう。さらには、強制国外退去になる移民を飛行機から降ろしてしまおう、などという大それたものまで。環境破壊や人権侵害や経済的搾取に反対しながらも、…

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『西表炭坑写真集』

書評:『西表炭坑写真集』(三木健編著 ニライ社)   ************** 日本の南西端に近い西表島は、今エコ・ツアーで人気上昇中のスポットだ。海(サンゴ礁)と干潟(マングローブ)と山(亜熱帯林)の生態系がなだらかにつながっていて、地球生態系のコンパクトなショーケースみたいだ。 自分が行った場所のなかでも、かなり好きなほうではある。 ならば西表は、手つかずの自然が残る、秘境で楽園な島なのか? 違う! 西表島がヒトでもっともにぎわったのは、実は1930~40年代頃の「石炭ラッシュ」の時なのだ。 この島は古い地層が隆起してできていて、1500万年前の石炭層が露出している。それに目をつけた炭鉱会社と、甘い言葉につられてやってきた坑夫たちが、亜熱帯林のなかに一大炭坑村を作りあげ、当時の人口は今をはるかにしのいでいた。 そして、彼らの多くは重労働とマラリアと、とどめの戦争で、島から逃げ出すこともできずに死んだのだ。 当時の新聞によると、楽園どころか、「孤島の生地獄」だったそうだ。 炭坑跡地に行ってみたら、廃墟はわずか半世紀の間に亜熱帯植物で完全に覆われていた。足元にはジャリジャリと真っ黒い石炭がある。坑夫たちの死体も、供養されずに埋まっているはずだ。石炭さえなければ、この島もこんな歴史を持たずにすんだのにと思うと、ため息が出た。 ヒトはなぜか、地下資源に群がる生き物だ。 金、銀、銅、ダイヤモンド……もそうだが、なかでも、石炭、石油、ウランあたりの「燃…

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『社会学入門』

書評:『社会学入門ーー人間と社会の未来』(見田宗介著 岩波新書) ****************** 全体を一度に言うのは無理なので、とりあえずこの本の白眉と言える、第六章『人間と社会の未来』についてだけ。 ヒトという生物種にとって、近代という時代は、その個体数の増え方から見て、爆発的な繁殖期だった。そして今は、その人口増加の時期を少し過ぎて、横ばいになりかかっているという。 どんな生物でも、その適応できる範囲一杯に広がってしまったら、無限に繁殖し続けるのではなく、あとはこうして増加を減らしていくそうだ。 つまり自分たちは、人類史上においても、無限に成長していく夢が破れた、かなりしょぼくれた時代に生まれついてしまったというわけだ。 こういう人間社会の重要な問題を、生物学的な(つまり絶対的な)根拠をもって説明してしまうところが、他の人には真似できないところだ。 そしてこうした人間の歴史は、1原始社会、2文明社会、3近代社会、4現代社会、そして5未来社会の5段階に分けられ、我々現代人は、それらの各段階に対応して、0生命性、1人間性、2文明性、3近代性、4現代性の五層構造を持っているという。つまり自分のなかには、生物としての自分、人間としての自分、文明人としての自分、近代人としての自分、現代人としての自分、がすべて生き続けているわけだ。 こういうふうに、「現代社会」や「現代人」を”重層的”にとらえることが、決定的に重要だとされる。 歴史は、それ以前のものをすべて否定し…

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『海の帝国ーアジアをどう考えるか』

『海の帝国ーーアジアをどう考えるか』 (白石隆著 中公新書)    ***************** 実はこの本を読むまで、地球のメインの部分は「陸」であって、残りの「海」は余白のように思ってたかもしれない。 けれども、ヒトの主要な交通手段は、昔から「船」だったわけで(あとは馬とか)、列車や自動車、ましてや飛行機なんかが出てくるのは近代に入ってからだった(日本で空路の海外旅行が始まったのなんか、1970年代だ)。 そう思って世界地図を、海をメインにして白黒反転させて見ると、実に色々な「海上の道」(by柳田国男)とその港である大都市が浮かび上がってきて、面白かった。 この本の著者は、東南アジア研究の専門家である。 確かにインドネシアのような国の形は、海を中心に見てみないと、なぜそうなってるのかわからない。 そして、東南アジアも含む東アジアの臨海部(というかオセアニアも含む西太平洋)が、ひとつの大きな文化・交易圏となってきたことが説かれる。 (こんな風に、ヒトの文化圏も地球地理的に決まってしまうものなのだ。) しかしその文化圏も、欧米列強によって半植民地化され、ここ50年はアメリカのヘゲモニー下にある。日本はその傘の下で№2としてやってきたわけだ。では今後、アジアは、日本は、どうしたらいいのか? 著者によると、アメリカがアジアにおけるヘゲモニーを放棄することは、当分考えなくていい(そうでなければ中国が覇権を握ることになるが、それもまたありえない、と言う)。 …

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『スロー・イズ・ビューティフル』

『スロー・イズ・ビューティフルー遅さとしての文化』(辻信一、平凡社ライブラリー)   *****************近代・現代社会の様々な問題点を、「スピードが速すぎる」というポイントに絞って、「遅くしていく」ことでそれらを解決しようと提案している本。実にホッとする。まったくその通りだ。 「早くしろ! 急げ! 頑張れ!」とあおられるのにうんざりした人にとっての「人生論」としても、地球環境問題を憂えている人へのガイドとしても、幅広く支持されてると思う。 また、全編に散りばめられた環境問題的なデータ(例えば、”今やこの国は二三人に一台の割合で自販機をもつ自販機大国だ”、とか)は、気がつかなかったけれども、よくよく考えてみれば由々しいことばかりで、まるで広瀬隆氏の『危険な話』を読んだ時にも似た驚きを覚えた(実際に『危険な話』の時のように、この本を知人に紹介するという動きがあった気もする)。 戦争になりそうな時とか、「スローなんて言ってる場合じゃない」時期も世の中にはあるだろう。 が、そのくらいのことでは否定されない、幅広く奥深い効果を、「スロー」という提案はも持っていると思う。

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『大日本帝国の時代』吉井正臣、岩波ジュニア新書

あとがきに書かれている、 「そしてなによりも、二十世紀になってから、日本ほど長期にわたって侵略戦争を続けてきた国はほかにはありません。」 の一文を読んで、まあそうだと思った。 この国は、太平洋戦争だけでなく、日露戦争、韓国併合、日中戦争……と、半世紀にもわたって、ずーっと途切れなく、侵略戦争をやってきたんだった。確かにそんなことは、ナチスドイツだってやってない。 ここに書かれているのは、非常によくまとめられた、その詳細な記録。 戦場や空襲での悲惨な話だけでなく、国内(銃後)で起きていた忌々しい出来事もちゃんと書かれているところがいい。 ”隣組”による相互監視や密告の強要。愛国婦人会に大政翼賛会。小学校が軍事教育しかしなくなったこと。敗戦の直前に、武器もないのに本気で準備された本土決戦「全軍刺し違え戦法」。そして敗戦直後には一転して「一億総懺悔」の強調……、等々。 地獄だな、と思う。こんなことが本当に起きるのか、と呆然とする。そして人間とはこういう生き物だと痛感する。今でもやっているではないか。戦争に反対するグループの内部でもやっている。 日本の戦争についての入門書としては、ベストだと思う。 まずどこの図書館にも置いてあるので、借りて読める。

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