資本主義の「精神」が嫌だ

 「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリングもうけられる者が散歩のためだとか室内で懶惰にすごすために半日費やすとすれば、たとい娯楽のためには6ペンスしか支払わなかったとしても、それだけを勘定に入れるべきではなく、そのほかにもなお5シリングの貨幣を支出、というよりは放棄したのだということを考えなければならない。」 これが大社会学者マックス・ウェーバーが“資本主義の精神”と呼んだベンジャミン・フランクリンの人生訓だ。他にも、 「信用は貨幣であることを忘れてはいけない。」 「貨幣は生来繁殖力と結実力とをもつものであることを忘れてはいけない。」 「勤勉と質素とを別にすれば、すべての仕事で時間の正確と公平を守ることほど、青年が世の中で成功するために必要なものはない。」 等々、色々ある。それにしても、なんと嫌な精神であることか。 フランクリンはアメリカ独立宣言の起草者の一人で、「代表的アメリカ人」とまで呼ばれる人物だが、これを見ればある意味でそれもうなずける。 ウェーバーによれば、資本主義は近代以前にも世界のいたるところにあった。が、近代(つまり今の)資本主義は、こういう生活上の倫理観と結びついているところが特別なのだ。 近代資本主義は、フランクリン以降も今に至るまで拡大を続けてきたが、ならばこの「精神」だって同じように拡大していてもおかしくない。それどころかこのマネーゲームの時代には、より切実な人生訓になってるんじゃないか? 特にビジネスマンみた…

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我々は体を洗いすぎている

肌の「かゆみ」は最近では、体を洗わないためではなく、むしろ体を洗いすぎるために起きると言われている。 皮膚の表面は、皮膚から出る脂(あぶら)と汗でカバーされているのが普通なのに、これらをあまりにも洗い落としすぎてしまうと、「バリア機能」がなくなって神経が過敏になってしまう。これが肌がかゆくなる一因なのだ(冬に風呂で全身を洗うのは、週に1~2回程度にして、あとは汚れやすいところを洗っているだけでいいという専門家もいる)。 人々が体を洗いすぎると得をする人というのも滅多にいないが、少なくとも石鹸とかシャンプーといった洗剤、ローションだの乳液だののスキンケア商品を作っている資生堂とか花王といった会社は儲かるはずだ。 人はいつからこんなに体を洗うようになったのか知らないが、自分が子供の頃はまだ、一般家庭でも必ずしも毎日風呂に入るのが当たり前ではなかったと思う。それが80年代の後半になると、もう「朝シャン」がブームになっていた。1日に2回も体のどこかを洗うようになった、と。 「朝シャン」ブームは、もともと資生堂が「朝にシャンプーをしましょう」とキャンペーンを打ったために起きたもののようだが、今では頭皮や髪の洗いすぎもバリア機能が損なわれるのでよくない、と言われている。 わざわざ体に備わっているバリア機能を洗い落とさせて、人工的に作ったバリアを塗らせて、それを2日に1回から毎日、さらには1日2回もやる生活習慣を全員につけさせることができたら、商売的には見事ということになるんだろう。そのために…

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食べものはどこから来るのか

自分が毎日食べているものは、どこで誰が作っていて、どうやって運ばれてくるのか? こういうことはあまり想像できなくさせられてるが、日本の食料自給率が40%と非常に低いのを見ると、60%は海外から来ていることになる。 例えば、バナナはフィリピンから、小麦やトウモロコシはアメリカから、キウイフルーツはニュージーランドから、といった具合に遠路はるばる運ばれてきている。コーヒー、大豆、砂糖といった日常的に口にする食品も、大きく輸入に頼っている。 一体誰がこういう途方もなく面倒なことをしているのかというと、ネスレを筆頭とするグローバル(多国籍)食品企業だ。そういう企業が世界各地の大農場から、地球上のいたるところに市場を見つけては大量に送り込み、大々的に儲けている。 特に「南」の国々には、広大な場所で特定の農産物ばかり作るように仕向けて、安く買い叩いて、世界的な格差を広げている。そういった地域の人は、自分が食べるものを自分で作らず、その農産物を売ったカネで買うようになる。こういう植民地時代のようなモノカルチャー経済をやっていると、作物の値段が大きく下がったりした時に、いきなり飢えてしまったりして非常にマズイ。 (日本も、車と家電のモノカルチャー経済にさせられてるのかもしれないが)。 そして自分だって、そんな輸入食品を食べたくて食べてるのか、あるいは食べさせられてるのかわかったもんじゃない。 戦後日本の学校給食が、なぜか米ではなくパンだったのは、アメリカの「小麦戦略」のせいだった。アメ…

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競争で幸せになれるか?

「個人であろうが、企業であろうが、あるいは国家であろうが、この世界で生き延びるために重要なことは、競争相手に勝つことである」    多国籍企業ネスレの経営者の世界経済フォーラム(ダボス会議)での発言*) 今この国は、学校でも会社でも「競争」を激化させる方向で動いているけれども、こういうことで我々は幸せになれるのか? もともと社会的な競争というのは、結果として一部のエリートを選び出すことを目指している。 国が今、わざわざ学校どうしを競争させてまでそれを激化させようとしているのも、そうやってエリート層を養成して、その他大勢の競争に参加しなかったり、頑張って競争しなかった人なんか、彼らがいいように使えばいいと思ってるからだろう。 企業は企業で合併に合併を繰り返して、業界何位とかの大資本を目指して競い合ってるが、そういう一部のエリート企業が残れば、それ以下の中小企業なんかどうなったっていいと思ってるわけだ。 こういうエリート主義というのは、そもそも民主主義に反していてダメなんだが、それもまた例の新自由主義(ネオリベラリズム)の一部だったりする。 結局、競争もエリート主義も格差も、同じひとつの現象なのだ。 しかし、だ。社会的競争なんて、誰もが相対的な順位を競ってるだけなんだから、どこまで行けば勝ちというものでもない。全員が常に追い抜かれないように追い抜く努力をするという、無限の頑張りを強いられるだけなのだ(ただでさえこの国ではもう十分に「頑張り」は強調されてきているというのに…

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テレビのアナログ放送終了に反対する

2011年7月24日までに、テレビ地上波のアナログ放送が終了することにも文句を言いたい。 これによって、国内に1億台あるとも言われるアナログテレビも、ビデオも、テレビ用チューナーがついてるものはすべて、そのままでは使えなくなる。総務省はデジタルチューナーを買い足せばいいと言うが、地上デジタル放送になると、嫌なことに画面のサイズまで16:9の横長に変わる。サイズが合わないんだったら、最終的にはほとんどの人がデジタル用の横長画面テレビに買い替えざるを得ないんじゃないか? 家電メーカーにとって、こんなうまい儲け話があるだろうか? 家電販売の基本は「買い替えさせる」ことだ(自動車でも服でも同じだが)。本来のメーカーの良心的な態度とは、一生使えるような丈夫でいい製品を作って、あとは修理などのアフターサービスを充実させることだったはずだ。が、そんないい製品が全員に行き渡ってしまったらどうなるか? もう新製品はひとつも売れなくなってしまう。 そこでメーカーは、「一家に1台から2台の時代へ」などと宣伝したり、モデルチェンジやバージョンアップで以前のものを「古い、ダサい」と思わせたり、従来の“規格”を一方的に変えて使いづらくしたりして、我々に新規購入を迫る。 音楽関係の商品を見ても、カセットテープ、CD、DAT、MD……などと、新しいモデルを次々と繰り出しては、まだまだ使えるハードやソフトを隅に追いやって、新製品を買わせてきのだ。 こうすれば、たとえ本来の限界が1億台であっても、2億でも3億でも…

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テレビは中立のメディアではない

テレビの民放(地上波放送)を見ている人はこんなにたくさんいるのに、それにカネを払ってる人はいない。 では、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京……、といった会社の経営は、どうやって成り立ってるんだろうか? 当然、ほとんど全部、9割以上は企業からの広告収入(CMとスポンサー料)で成り立っている。 番組制作費や出演者のギャラだけでなく、会社員の給料も、社屋の維持費も、下請け会社に支払うカネも、そこから出ているのだ、信じがたいことに。 だからテレビは、基本的に広告主の企業を批判できないだけでなく、全体的に企業活動の応援をしているに決まっている(その鬱憤がたまって、時々特定企業の大バッシングになるのかもしれない)。彼らは、「番組」という商品を作って、我々視聴者ではなく、企業に売っていると考えているのだ。 基本的に情報の受け手からカネを取っているメディアは、新聞でも雑誌でも、受け手のために情報を流す建前を取っている。 けれども、雑誌なんかを見てると、広告収入に比重が移っていくにしたがって、「読者のため」よりも「企業のため」のページが増えてきて、広告と本文の区別がつかなくなってくる。そして民放テレビの場合は、初めから「視聴者のため」という建前すら取っていないわけだ。 企業は企業で広告費を使いすぎていて呆れるが、テレビには最も多くの広告費を割いている(そしてその広告費は、商品の価格に上乗せされていて、結局我々消費者がそれを払っている)。 テレビとは、企業にとっても最…

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東京オリンピックなんかやらなくていい

石原慎太郎都知事が、今時、オリンピックをよりによって東京でやろうと張り切ってるが。 いったい何を考えてるのか……。 オリンピックにかかるカネは、石原自身の去年6月の発表によると、大会運営費3千億円、施設整備費5千億円(うち都の負担は5百億円)だそうだが、実際には道路や空港、湾岸開発なんかのインフラにかかるカネも含めると、総額7兆円を超えるとも言われる。7兆円……。 で、東京都は毎年1千億円を積み立てる計画まで発表してるのだ。 そんなカネ、どこにあるんだか知らないが、あるなら福祉にまわすのが当然だろう。この格差・貧困問題でのっぴきならない状況においては。 大体、東京オリンピックは高度経済成長の象徴みたいなものとして、1964年に行われたが、東京で一発ドカーンとオリンピックをやろうなんて発想自体が、高度成長期的でもう古いのだ。 「昨日よりも今日、今日よりも明日はより発展してるべきだ」というのが経済成長主義の思想だけれども、そんなのはもう70年代から“先進”諸国でも否定的に見られてる。 それで、「作っては壊す」を繰り返すような、建設業界がもうかるようなことはもうやめて、省エネ、リサイクル、エコロジーを推進していく時代になったんじゃなかったのか。 今はむしろ、「昨日も今日も明日も変わりばえのしない日常を、どうやりくりして生きていくか」が課題だったんじゃないのか? 「オリンピックには夢がある」とかなんとか石原都知事は言ったようだが、そんなものをやってもやらなくても、「夢」な…

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「生きるのに必要なこと」とは何だったか?

街中を眺めていると、「都市に生きてるヒトは、生き物としていったい何をやってるんだろうか?」と不思議な気分になることがある。 本来「生き物として生きるために必要なこと」、例えば衣食住に関すること(食べ物を獲ったり育てたり、服や家を作ったり)は、ほとんど何もやってないのだ。 で、それを人にやってもらうカネを稼ぐために、誰が生きるのに役立ってるのかわからないような書類の整理みたいなことばかりやっている。 こういう“仕事”が実質的には、「生きるのに必要なこと」にすり替わっている。 都市生活者は、こういう“デスク・ワーク”(机に向かってすること)に加えて、“趣味”(音楽を聴いたり、映像を見たり)や“スポーツ”なんかも、かなり猛烈にやってるように見える。 けれどもこういったことは、基本的にまったくやらなくても、生き物として生きていけるはずなのだ。 (学校時代を思い返すと、やってたのは勉強とスポーツと趣味ばっかりで、それに長けている人ほどほめられるような空気があった。この社会はこういう人間を育成してると思う。) 大ざっぱに言って、都市部に住んでる我々がそれらの努力の一部分でも、こういう「本来生きるのに必要なこと」をするほうに向けてたら、「世界で飢えてる人の半分は、食べ物を作ってる“農民”である」という信じられないような事態も、多少はマシになってただろう。 大体どんなに生活環境が変わったところで、この身体はそんなに簡単には変わらない。太古から相変わらず、本来生きるために必要なことをする…

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働けないのは「自己責任」なのか?

ニートやフリーターといった「働け(か)ない若者」が増えてしまった背景には、労働や仕事に対するメンタルな問題も重なっていると思う。「ひきこもり」や「心の病」の問題もなだらかにつながっているはずだ。 うつ、内向的、口べた、対人関係が苦手といった人にとって、この社会で全盛を極めている“人を相手にする仕事”はもともとキツイものなのに、ネオリベラリズム的な競争至上主義の労働環境は、ますますそういった人たちを仕事から遠ざけたに違いない。 それだけでなく、普通の人のなかにも「仕事が苦手」という意識を植えつけてしまったんじゃないだろうか? 多くの人が、仕事に対する自信を失ったというか。 そもそも今のこの国の労働・仕事について言うなら、適応できない側よりもむしろ、労働自体がキツすぎるのがおかしいのだ(日本人の残業時間は世界一長いし、カローシ<過労死>という日本語は世界共通語になってしまっている)。 会社側も、そんなにバリバリに社員をこき使って「発展」を目指すんじゃなくて、「スローな労働」みたいなものを推進していったほうが、時代にも合ってていいと思うんだが。 そういう普通な労働環境を整えようとせずに、「再チャレンジ」を無理強いしても、問題は根本的には解決しないだろう。 だから、仕事ができなくて何もすることがなく、ベッドに横になって将来の不安と戦ってる人も、「自己責任」なんていう政府の宣伝文句で自分を責めすぎずに、かわりに企業や国を責めてもいいと思う。   関連推薦図書…

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銀行は利子を払え

この国で、銀行が一方的に預金者に利子を払わなくなってから、どのくらいたつんだろうか? この世界でも例のない「超低金利政策(あるいはゼロ金利政策)」に、誰も文句を言わないでいいのか? もともとこの政策は、バブルの崩壊で破綻寸前になった金融、証券、ゼネコン、不動産業なんかの企業を守るために、90年代前半から取られたんだが、99年には預金利子が実質的にゼロになる「ゼロ金利政策」になった。去年ようやくゼロ金利は解除されたものの、相変わらずの超低金利(ほぼゼロ)政策を国は続けている。 これによる銀行の利益は、つまり本来、一般預金者のというか、主に家計の収入になるはずだったカネは、300兆円を超えてるそうだ。 バブルで失敗した企業の損失を、今も国民が負わされている、と。 そういえば、05年には、銀行が一方的に1000万円以上の元本を保障しなくなった「ペイオフ解禁」なんてのもあったが、怒らなくていいのか? こういうのがまさに企業中心の政策であって、こういうことをしてるから、国民が貧しくなったんじゃないか? こういった「改革」をやってきた小泉前首相が、国民に「人気があった」だけでなく、今でも「人気がある」というのは、驚くべきことだ。 “痛み”に耐えるのが好きなんだろうか。 で、今の首相も小泉改革を継承するとか言ってるんだが……。もういいって。  

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図書館を利用しよう

我々の日常生活は、資本主義経済というやつに深く深く侵食されてしまっていて、“楽しみ”なんて金で買わなきゃいけないような気がしている。 知的好奇心とかいうものを満たすために、電車に乗って街に出て、書店やCD屋をまわってくるのを趣味にしている人も多いだろう。 が、その回数を減らして、地域の図書館に行ってみるのはどうか? 確かにCDやビデオやDVDはそんなに品揃えがいいわけじゃない。雑誌もそれほどあるわけじゃないが、でもそこそこある。新聞もあるし、本については、書店より充実している。借りることしかできないが、そのほうがむしろ、資源のムダも省けていいかもしれない。 なによりも、タダだ。街中のように座るだけのために、茶代を払う必要もない。 こういった社会福祉施設は、我々の払った税金で運営されているんであって、基本的に書店やCD屋とはまったく別のテリトリーなのだ。税金の元を取るためには、ないCDは入荷するまでリクエストするくらいの気持ちで、最大限に利用したい。 そして図書館には、無料の法律相談(いじめ相談も含む)や各種教室、講演会、自然観察会みたいな(やや渋い)行政サービスの案内もかなりある(役所に行けば完璧に揃う)。 より多くの人が、こういった地元の行政サービスを最大限に利用して、ないものは要求していって、より充実させていくことは、この先重要だ。 今の段階でも、“楽しみ”に限らず、我々が生きるのに必要なサービスは、民間企業にゆだねられすぎてるのだ。我々も知らず知らずのうちに、企業・…

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缶ジュースに見る消費社会の問題

「缶ジュース問題」というのが自分的にある。 街中をよく見ると、あまりにもたくさんの缶ジュースというか缶飲料(清涼飲料水、コーヒー、茶なども含む)があふれかえっている。缶一本分の飲みものなんて、水飲み場や水筒でもあれば、もともとあまり必要なものじゃないだろうと思うんだが。もし、そもそも缶飲料自体がある程度ムダなものだとしたら……。 そのひと飲み分にごと使い捨てられる大量の容器のムダ。それらを24時間、つめたいとかあったかいとか温度調節してる無数の自販機の電気代のムダ(国内の自販機が使う電気は、原発1基分の発電量に迫っている)。さらにそれらの缶飲料新商品にかけられる膨大な広告費のムダ。さらにさらに、それらの商品を企画し、製造し、運搬し、宣伝し、回収するすべての労働力のムダまで思いをはせると……(缶飲料のために一生を捧げる人だってたくさんいるだろう。コカ・コーラ社の人とか)。なにか途方もない気分になる。 しかも、そういう商品は缶飲料に限ったことでもない。必要がないとは思わないが、電気屋に並んでいる携帯電話やパソコン関連機器、音楽機器、スーパーにある化粧品や“洗剤的なもの”等々のあのおびただしい「種類」はなんなんだろうか? 先進資本主義諸国というか消費社会は、というより我々は、もともとそんなにはいらないものを大量に作って、買わせる、みたいなことばっかりやってしまってるように見える。 なにか、途方もない資源・エネルギーの浪費であるだけでなく、我々の生きるエネルギーの浪費というか。こういう…

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経済成長せずに幸せになること

今、若いフリーターが増大してしまっていることは、重要なテーマだと思う。 日本人は戦後、80年代まで、“働きアリ”とか“エコノミック・アニマル”と、世界的に蔑称されてきた。終身雇用と年功序列は、日本独自の制度とされていた。 50年代の戦後復興、60年代の“奇跡の”高度成長、80年代のバブル経済は、そうやって全員が「会社人間」として、(確か80年代半ばくらいまでは「週休1日制」で)働きまくった結果、実現したのだ。 そして今また、首相は「経済成長を!」と叫んでいる。 まだ経済成長したいのか? そもそも成長し続けなければもたない社会なら、いつか必ずもたなくなるはずだが。 若いフリーター層の増大は、主にバブル崩壊後の就職難のせいだろうが、そういう「会社人間」という人生に対する反発も大きかったはずだ(自分が若い頃はそうだった)。 フリーターが増えたことは、極端ではあったかもしれないが、一概に不幸な出来事とは言えない。多くの人は、会社や経済成長のためじゃなく、自分や家族が生きていくのに必要な分だけ働きたかったのだ。国は、企業なんか優遇してないで、そういう自由な個人をサポートするための政治をすればいい。企業もそういうった流動的な雇用にちゃんと対応していけばいいと思うが(今でも日本で普通の中高年サラリーマンが転職すると、欧米ではそれほど下がらない年収が、半分以下になり、元には戻らないらしい。まだ終身雇用・年功序列を引きずってるんじゃないか?)。 経済成長はもういい。 大体、そんな過剰な生産や…

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