「死ぬために殺した」という証言は本心なのか?(後編)
「死にたい人は、他人に危害を加え、巻き込んで死のうとするものだ」といったおかしな見方が広まったら嫌だなと思って前回の記事を書いた。するとその直後に東大刺傷事件が起きてしまい、そんなことがごく普通に言われるようになってしまって、まいった。
毎年2万人も自殺する人は出るけれども、それらのほとんどの人がそんなことをしようなんて考えない。このことは、この長い記事の初めに言っておきたい。
「死にたくて、死刑になって死のうと思い、殺人(未遂)をやった」という論理が信じられないと前回書いた。そう語った焼き肉屋立てこもり犯は、「射殺されようとしてやった」と証言を変えた。本人によって「死刑になりたくてやった」は否定された。「射殺~」も相変わらず荒唐無稽なのだが、変わるくらいなのだから、その程度のものなのだろうと思わせる。(これについては、文末に紹介した犯罪心理学の専門家の意見も、よかったら参照を)。
そんなふうに犯人が犯行直後に語った動機を、いきなり真に受けていいのだろうか。もちろん自分だって、そんなのはひとりもいないなんて言う気はない。それでも「本心ではないのではないか」と思ってみる必要はあるんじゃないか。
京王線事件と東大事件**************************************
「死刑になるためにやった」の京王線事件の犯人は、「人の多いハロウィンの日を狙った」と言った。けれども、事件があったあたりの京王線は、ハロウィンだからと言って混みぐあいに変化はない。また、あの…