贈与には見返りを求めてはならない、か?

『アナキズムを読む』という本に、人間関係とか贈り物とお返しなんかについて、短い文を書いたので(それだけではないけど)、ちょっとそれに関連して。「贈与にはお返しがあってはならない」「無償の贈与でなければ…」などと非常に頻繁に言われることについて。 くにたち0円ショップをはじめて、もう9年になった。ここではもちろん道行く人に自分の物をあげるのが基本なのだが、参加者どうしでもさんざん、「これいらない?」などと物のやり取りや貸し借りをしている。もちろんお土産や差し入れも飛び交っている。それを9年もやっているのだから、贈与とお返しについては、相当経験を積んだ自覚はある。 その経験から思うのは、ギフト・「エコノミー」などと言われるが、贈与とお返しも実は人間関係の一部というか、下部構造でしかないなということ。人間関係では、常に誰かに気づかってもらったり、それに対するお礼の気持ちが湧いたりを繰り返している。その気持ちが言葉になったり、世話という無形の何かになったりする。そしてある時は、物やお金という形のある物になり、それが贈与とお返しと呼ばれるだけだ。 贈与は経済ではないということだ。 それを経済と見る見方は、人間関係と物のやり取りが売り買いによって完全に切り離されてしまった今の世の中の視点で、昔からずっと続いているものを見てしまっている。そういう過ちを犯しているように思える。もともと贈与に限らず、経済だって人間関係と一体化していた。 贈与を人間関係のほんの一部分と、あるいはひとつになったものと見る…

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「雑草を飾る」という0円の娯楽

「雑草を食べる」でもなく「雑草で酔う」でもなく、「雑草を飾る」のにはまるようになった。以前に花の栽培ばかりやっていたので、花はよく飾るほうだった。机やテーブルの上のような殺風景なところには、こういう「野生のもの」は異様に映える。PCに向かっている時に、こういうものがちらちらと目に入るのがいい。 上段左は、最近特に気に入ったナヨクサフジ。つるものはどうせだめだろうと思って飾ってみたが、光に透かすと素晴らしい。たまたま窓からの光に透ける場所に置くことができるので、思わず見てしまう。夜布団のなかで頭に浮かんで気分がよくなったり、効果が多岐にわたっている。 上段右は、日本で猛烈な勢いで繁殖しているため、注意が呼びかけられているナガミヒナゲシ。道端によく群生して咲いていて、色と形がとてもいい。そのせいで駆除されないのかもしれない。 中段左は、河原なんかによく生えているムラサキツメクサ。形がポンポン触りたくなる”かわいい系”でいい。すごく長持ちするのに驚いた。 その右は、勢いがつくと恐ろしいほど増殖するツルニチニチソウ。この青い色はなかなかかけがえがない。 その下の左はドクダミ。これはとても地味な雑草なのだが、花は結構きれいなのではないかと以前から思っていた。これを飾るとなると、花がいいというより、葉を含めた全体の感じを面白がっていると言える。「雑草の葉っぱだけでも、感じがよければ飾れる」と思えた。ドクダミはこれまで、茶葉や薬草として使ったが、この「見る」という使い方が一番はまる…

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持続化給付金100万円は苦しいスペースへのカンパに使いたい

持続化給付金を100万円もらったのだが、これはカンパに使いたい。これまで自分がトークや企画の持ち込みで世話になったスペースやお店で今苦しいところがあれば、このお金のなかから、各々10万~数十万のカンパをしたい。連絡を貰えたらお金を渡します。 これは貰う前からほぼ決めていたことで、理由はまず自分の持続は一緒にやってくれる相手の持続にかかっているから。そして何よりも人が集まるスペースは、オルタナティブな生き方をする者にとって最も大事なものだから。そんな場所がコロナ騒動で一番の割を食っているなんて、まったく理不尽だ。さらに行政の支援なんて大雑把にしか考えていないので、細かいところは自分たちで調整すればいいと思うので。 もちろん色々考えるうちに、様々な難しさも感じた。そもそも今の段階では、一時的なお金の問題よりも、長い目で見た集客の問題のほうが大きいのかもしれない。そんな話は直接運営者からも聞いた。 あるいは、「あげますよ」なんて偉そうなんじゃないか? すでに近いところはこちらからも声をかけているが、もうほとんど行かなくなっている店・スペースに対しては、なんかこういう態度もおかしいんじゃないか?とか。もっと違う提案のしかたがあるんじゃないか、などと迷ったりもする。 こういうためらいは、いざやろうかとなるといくらでも浮かんでくる。けれども、そんなことはあまり大したことじゃない。そう思うことにする。じゃあやらないのか? そうなったら、何にも考えなかったのと同じことになってしまう。それよりは、色々あ…

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持続化給付金を100万円もらった

コロナで収入が減った個人事業主などが貰える持続化給付金の申請を少し前に済ませて、上限額の100万円を貰った。国からこんなに大きな額のお金を貰ったのは初めてだ。この給付金、条件に合う人は絶対にもらったほうがいい。これだけでいいのか?と思ってしまうほど、手続きが簡単なのだ。これは収入が少額なので、当然毎年確定申告などしていない人にも薦めたい。例えば去年個人で何かやった収入が5万円あって今年がゼロだったら、それを今から確定申告して、給付金5万円をもらってもいいと思う。(写真はクリックして見てください) この持続化給付金はコロナの影響で、収入が減ったフリーランスなどの個人事業主や中小法人が国から貰えるお金だ。お薦めなので貰い方まで説明したい。ここでは台帳なしの確定申告(白色申告)をしている個人事業主(自分もそう。登録はしていない)、あるいは申告をしていない事業主のケースで。 貰うには、今年一か月でもいいから、去年の同じ月の収入から半減していればいい。この去年の月別収入、白色申告の場合は、去年の「売上金額」(経費を引かないもの)を12で割って1か月分の収入とする(申請でも、前年同月の売上額を聞かれるが、この金額を記入するので注意!)。 つまり、今年収入0円の月があればおおむね大丈夫だと思う。 そして今年の半減した月の収入を12倍する。その額を去年の総売上げから引いた額が貰える(100万円まで)。「今年の5月は収入がゼロだったんだけど」という人は、当然「0×12=0」で、丸々去年の売上げを貰えるわ…

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プロ奢ラレヤーとの対談記事

プロ奢ラレヤーと対談した記事がアップされた。鶴見済×プロ奢ラレヤーが語る、“贈与経済の今後” 「レンタルなんもしない人」によって一気に有名になったこうした活動、自分はかねてから、お金を貰っていなくても相手に何かを与えてその見返りを受け取っているものだと思っていた。レンタル氏は今は有料だが、仮にお金を受け取ったとしても、こうした活動はやはり支持する。 お金をまったく使わなかったことで知られるドイツのハイデマリーは、晩年の20年を、泊めてくれる人の家を渡り歩いて暮らしていた。かつて教師やカウンセラーだった彼女は、何もしなかったのではなく、よき相談相手、よき同居人だったのだ。いわゆる労働でないことでも、人は価値を生み出している。 金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 (ハイデマリーの紹介記事)

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好意には好意が、攻撃には攻撃が返ってくる

人に好意を与えれば好意が返ってくるし、悪意や攻撃を与えると悪意や攻撃が返ってくる。世の中は実際にそうなっているし、誰も特別に偉くなんかないのだから、当然のことだ。攻撃はしたいけど、反撃は受けたくない、などということは許されていない。 今では昔ほどには意識されなくなったが、これはとても大きな原理だと常々思っている。しかも単に優しいだけの気味の悪い話とは違って、厳しい面も備わっており、そこがとてもしっくりくるのだ。何しろ世の中は全然甘くないわけだから。「自分がされたくないことは、人にしてもいけない」もこれと同じことなのだから、つくづく大事な原理だと思う。「お互い様の法則」などと勝手に呼んでいる。 お金ではないやり取りの経済は、贈り物(贈与)とお返しの連鎖でできている。この経済を「贈与経済」と言って、その仕組みを「互酬」と言う。「世話」のような物ではない何かをやり取りしてもいい。そしてこの「贈与・返礼」に悪意や攻撃(両者は必ずしも同じものではないが)のやり取りまで含めるのも、わりとよくある説なのだ。好意の連鎖みたいな話を聞いただけではあまりピンと来なかったのだが、悪意や攻撃まで含めるとなると、世の中にこの原理がいかに広く行きわたっているかがばーっと見えたようで、感激したものだ。 「人権や平等という西洋の思想が入ってくる前は、それに代わるものとして何があったのか?」などとよく言われるが、自分はこの「お互い様の法則」(公平とか)なのではないかと睨んでいる。村の寄り合いで話し合うことは、こんなことば…

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0円ショップの新聞記事と我が精神疾患

7年間も参加している「くにたち0円ショップ」を、東京新聞の夕刊1面と2面で紹介してもらった。 0円ショップ価値無限 垣根ゼロ 心つながる 東京・国立の路上 0円ショップの場としての重要性についてもかなり焦点を当ててもらっている。自分が参加し始めた最初の動機は、もちろん「物」に関するもので(もったいないとか、経済とか)、もちろん今もそれはある。けれども長く続けることになった理由は、やはり「場」、居場所としての魅力のほうが大きいかなと思っていて、記事にはならなかったがそう話した。 また自分についての部分に、「高校時代から重い精神疾患があり」と書かれている。「重い」というと幻覚妄想を伴う統合失調症(精神分裂病)を想像してしまうが、それではない。けれども大学の頃、こちらとしては「気になってしかたがないこと」だと思っていた訴えに対して、精神分裂病薬を処方されていた時期があった。「妄想」と判断されたようで、ショックを受けた。少なくとも症状は、軽いというわけではなかったということか。 まあこういう話は90年代後半からしていたし、それが新聞に載ったこともあったと思うが、ますます普通に受け止められる世の中になり、とても好ましい。「パワハラ」も書いてあるが、それも追い追い言っていこう。 何度も足を運んでくれた記者さんが丁寧に取材して書いてくれたいい記事なので、読んでほしい。 ※写真は自分が初めて参加した時のもの。確か「Buy Nothing Day」だったので、そう書いた紙を置いている。

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『0円で生きる』の韓国語版発売

韓国で『0円で生きる』が発売になった。韓国語のタイトルは、奇しくもマーク・ボイルの日本語版のタイトルと同じ『無銭経済宣言』になってしまった。表紙の字が読めず、Google翻訳アプリのカメラ入力機能で見てみると、「無経済宣言」と惜しい精度。それにしても、このカメラ読み取り翻訳はすごい。

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DIYシュノーケルと他者評価でない歓び

『0円で生きる』にもやり方を詳細に書いたDIYシュノーケルとは、自分の好きな場所から海に入り、好きなだけ海中を眺めるというもの。ボートでいい場所に連れて行ってもらって(主にサンゴがあるところ)、決まった時間だけ海中を見るシュノーケリング・ツアーと区別している。獲物を求めて狩りをしているような、独特の面白さがある。けれどもサンゴ礁について言うなら、歩いて行ける海岸の沖に素晴らしい状態のサンゴがある場所は、そう簡単には見つからない。つい先日行ってきたインドネシアの片田舎ブナケン島は、まさにそんなところだった。ブナケン島海岸でのシュノーケリングで見られるもの Snorkeling at Bunaken Island. HD「サンゴと熱帯魚を見る」という行為が、自分が生きるうえで何の役に立っているのか、まったくわからない。けれども、自分が生きてやっていることのなかで、これを上回る歓びを感じられるものは、残念ながら他にない。熱帯魚を見ながらプカプカと海に浮ている時間はもちろんいいのだが、岸に戻って海を眺めながらイヤホンで好きな音楽を聴いていると、何かこみ上げてくるものがあり、この世界はそんなに悪くないと思えてくる。こういう単純な歓びがなければ、人生は悩ましいことで埋め尽くされてしまい、この世界への興味も失せてしまいそうだ。大げさだが、生きる歓びと言ってもいい。これに似た体験というと、レイヴパーティーで踊りながら朝日を見たことが思い浮かぶくらいだ。いずれも、人間関係的な世界のなかでの悪戦苦闘とは、まるで関係な…

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『0円で生きる』インタビュー・書評のまとめと書き足し

『0円で生きる』について受けたインタビューや、書いていただいた書評の一覧をまとめておく。どれでも主に主張しているのは、無料でのやり取りを増やして、この社会のメインストリームに適応したくない人間の領域を拡大しようということ。 ●記事不適応者でも生きやすい領域を作る 鶴見済『波』という雑誌に書いた記事。ここに書いた、泊めてくれたカフェのオーナーとは、今も連絡を取りあっている。「これは、単なるお金の節約だけの問題ではないのだ。この社会に適応したくない人間のための、もうひとつの世界を作るための試みだと思っている」。●インタビュー「0円生活」で居場所見つける 脱・お金依存の先にあるもの(Yahoo!ニュース)90年代から『脱資本主義宣言』のあたりの経緯まで含め、今言いたいことを上手くまとめてくれているインタビュー。出だしの部分では、「戦後の若者文化は一貫して抑圧に抵抗して自由になろうとしていて、『道徳的なもの』もその抑圧のなかに含まれていた」という話もしていて、ここの内容はそれとも関連している。ゼロ円で生きることを提唱するライター 鶴見済さん (中外日報)『中外日報』は歴史ある仏教系の専門紙。生や死、そして無料の経済について話している。メインは無料経済の話なのだが、「自分としては人生をもっと軽く考えたい」「個人が集団の犠牲になる」といった部分が自分としては心に残ったりする。ここでは載らなかったが、「色即是空、空即是色」の話もしていた。「一切の価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値という…

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健全さへの抵抗感、寄付の世界

『0円で生きる』では、寄付の貰い方、あげ方についても書いていて、寄付サイトなども紹介している。Japan Giving    Give Oneけれどもサイトを見てもらえばわかるとおり、こうした寄付の世界は、「いわゆるいいこと」の独壇場となっているのが気になっていた。『愛は地球を救う』みたいな感じ、と言えばわかりやすいだろうか。日本の寄付や募金は、ほぼ「健全さ」や「道徳的なもの」に独占されているかのようだ。けれども自分が知る限りでは、日々のお金に困っている人には、むしろそうした健全さや道徳的なものから縁遠い人、それに抵抗感を持っている人が多い。ふさわしい言葉が見つからないのだが、斜に構えた者、不良っぽい者、やさぐれている者などと言えばいいのか。ブレイディみかこさんの『花の命はノー・フューチャー』という本に、イギリスの最低所得者層の地域には、タトゥーが入っている人が圧倒的に多いという話が載っている(自分の書評)。自分が会った野宿している人たちにも、そんなタイプが多い。もちろん、ここで言っているのは「内面的にやさぐれている者」全般のことだ。お金のあるなし、不良っぽさ、そんな外面的なことに関係なく、そのような人はたくさんいる。むしろ生きづらい系の人のほうに多いのかもしれない。 そして、こうした健全さに抵抗のある層は、社会の様々な恩恵からはじかれてしまっているのだ。保守政党は経済的強者を守り、リベラル・左派政党は健全な層を守るかもしれない。けれどもそうした層を誰が相手にしているのか。そうしたタイプの人間が…

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世界の0円サービスと新しい「共助」の時代

世界の、とは言ってもヨーロッパがほとんどだ。以前から感じていたが、ヨーロッパに比べれば、日本の0円活動はまだまだ盛んではないと言えるだろう。それらを紹介する前に、「共助」という助け合いについて少し。 ここであげたものは、大体「共助」と呼ばれる助け合いに相当する。「助ける」という行為には三種類あって、①自助=個人が自分を助ける②公助=公(行政)が人を助ける(社会保障など)そして、③共助=人(民間人)が人(民間人)を助けるの三つとされる。 前近代(日本なら江戸時代以前)では、特に村のなかで共助の役割はとても大きかった。けれども近代以降(日本なら明治以降)は、まずお金のやり取りが盛んになったので「お金による自助」が増えた。そして、国や行政の力が大きくなったので、公助も大きくなった。こうして共助は廃れた。日本では特に、高度成長期以降に廃れたと言われる。 0円活動が活発なヨーロッパには、共助の伝統が多少は残っていたのだろうし、インターネットの普及が新たな「共助の時代」を進めていることは間違いない。 『0円で生きる』には、これらの三つはどれも含まれているが、多いのはやはり「共助」の原理にもとづくものだ。これらはどれも大切であり、あまりにも自助や、家族による介護などの共助ばかり強調するのはよくない。けれどもこの社会では、共助はもっと見直されるべきだ。自助と公助のなかで、人々は孤立しがちになった。 共助が廃れて、代わりに日本には「他人は危ない」という考えが行きわたった。もちろん「他人」など、いい奴ばかり…

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無料でつながる方法と、縛りのきつい関係を拒否する時代

複数の人があえて集まってやることは、ほとんど助け合いである。そんなことを『0円に生きる』に書いたが、よく考えればそうなのだ。誰かが誰かを支援などしなくても、例えば孤独感に苛まれている人同士が集まって問題が解消したなら、それはお金も苦労もいらない有意義な助け合いだ。本で紹介した「自助グループ」は、そんな助け合いのひとつの形だ。ネット上には、〈つなげーと〉、〈ジモティー〉のメンバー募集版といった同好会のメンバー募集サイトがある。英語で外国人が多いが世界で一番有名なサイトに〈Meetup〉がある。こうやって集まることも、やはり助け合いなのだ。欲を言えばもっと、日頃からつながりがなくて困っている人向けの集まりが増えてほしいところだが。 今の日本では、こうした新しいつながりを作ることが極めて重要だ。それには深い理由がある。以前から、昭和の時代には珍しかった、あるいは少なかった新しい生き方として、次のようなものがあるなと思っていた。労働週4以下、フリーランス、ニート、不登校、ひきこもり、生涯独身、未婚同棲男女、子なし夫婦、シングルマザー、養子縁組親子、そして同性愛。まだ行きわたっているとは言えないが、アメリカなどでは広まっているポリアモリー(公認複数恋愛)も。これらはすべて、戦後ほとんどの人が押し込められていた「学校」「会社(職場)」「家庭」という三つの領域から、あるいは「男女が結婚して子供を作り、男は終身雇用」という縛りのきつい人生から外れていることに気づく。晩婚化や離婚の増加も同じ傾向の一部だろう。 …

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自然が無料でくれる大きなもの

『0円で生きる』では、自然界から無料で貰う方法もあれこれ書いている。鶴見は最近すっかり変わって、自然がいいと言っている、などと言われることもあるが、そういうことは90年代から言っている。 本には、野菜栽培、野草採取、茶葉作りなど色々な技を書いているが、平凡な雑木林でも、眺め方しだいで十分楽しめる(その眺め方まで書いた)。ひとつの林でも、季節はもちろん、雪・霧などの天気、夕方・曇りなどの光の加減、鳥・虫などの他の生き物の有無によってもまるで違ってくる。こうしたタイミングに、和歌や俳句を詠んできた人々は、最も神経を研ぎ澄ませてきたのだなと思うと、その無料で自然を楽しむ「技」に恐れ入るばかりだ。 こうしていると、自然物との関係というものに思いを馳せるようになる。「野菜を作って食べる」という行為ひとつを取ってみても、このなかに光、水、空気、土といった、あらゆるものとの関係が含まれている。「食べていく」とは本来これだけ単純なことで、面接を受けて就職をして月々何万円稼ぎ、そのお金をあれとこれの支払いにあてて、という途方もなく複雑なものではなかった。また「関係」とは「人間関係」のことではなく、他の生き物や生きていない物(無機物)全般との関わりのことであって、それが見えなくなっているのだな、と気づく。 すべての人間関係に失敗してしまったとしても、それで一巻の終わりではない。けれども、そう思えてしまうような世界に、我々は生きるようになったのだ。 もう少し書こう。我々はどれだけわめいても全員が死ぬわけだが、死…

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0円で生きるために役立つ無料サービス一覧

新刊『0円で生きる』で紹介した、無料で貰ったり共有したりするためのサイト等々の一部を掲載する。お金が稼ぐのが苦手な人も軽んじられない世のなかにするために。また、労働と消費だけの人生から脱却するために。 ●不要品を無料で放出するサイトジモティー(不要品無料・有料放出、その他募集全般。近くで無料品が出るとメールを受け取るように設定するのがいい)mixiあげます&くださいコミュニティ (mixiでもまだ使われているコミュ) ●不要品放出+募集くにたち0円ショップ(路上、東京)くるくるひろば(常設店、東京)ほげ0円ショップ(河原、京都)かなやまFreeshop(路上、名古屋)くるくるひろばinつくば (公園、つくば) ●住まい、交換労働カウチサーフィン(無料宿泊者募集、英語)WWOOF(有機農場無料滞在+手伝い)Workaway (宿泊・食事と手伝い、英語)HelpX (同) ●無料相談精神保健福祉センター(心の悩み無料相談)弁護士による無料法律相談(東京都の区役所)総合労働相談コーナー  (厚生労働省)法務局人権相談 (人権侵害全般の相談) ●無料での作品などの共有青空文庫(著作権切れ作品無料公開)Flickr(共有写真検索が便利)ナイン・インチ・ネイルズ『ゴースト』(無料アルバムダウンロード)マーク・ボイル『無銭経済宣言』全文掲載サイト(英語)●公の無料施設など海と陸からの見学会(東京湾無料見学。大推薦)Tokyo霊園さんぽ (公園として使える公共の墓地紹介)農林水産省食堂 (いい食材で安く…

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私はなぜ『0円で生きる』を書こうと思ったのか

例えば一方に、ただでもいいから自分の演奏を聴いてほしい人がいて、もう一方には、誰かの演奏を聴きたい人がいるとする。マイクを一本置いて両者を集めれば、基本的には無料で双方の望みが叶うことになる。これが「オープンマイク」だ。 こんな組み合わせは、誰かに泊まってほしい人と泊まりたい人、ある物がいらない人と欲しい人、ヒマをつぶしたい人と人手が足りない人、空きスペースのある人とスペースが欲しい人など、無限に考えられる。 こうした組み合わせが成功した場合、そこには単にお金を使わわずに済ませた以上のことが起きている。こうしたほうが、お金を払って事を済ませるよりも豊かだと感じられる。個人的には「美しい」とさえ感じてしまう。 こんな「お金は使わないけれどもより豊かなやり方」は、お金を使いたくない人の間で、もちろん自分の身のまわりでも、錬金術のように練りに練られているのを近年感じてきた。気がつけば、自分でも色々とやるようになっていた。ネットの普及がそれを広めてもいるし、国内よりも欧米のほうがもっと練られ、実践されているとも感じた。考えてみれば、お金をそれほど使わず、物や人手が足りなかったかつての社会では、毎日がこんな工夫の連続だっただろう。こういう発想は、物をもっと売ったり(ひとりにひとつ!)、お金を使わせるための商業戦略のせいで抑えられてきたのだ。 こうした流れをもっと推し進めて、お金を稼ぐのが苦手な人でも、つながりを持って豊かに生きることができる社会にしたいものだ。もっと、お金を稼ぐことが重要でない社会に…

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新刊『0円で生きる』の目次

新刊『0円で生きる──小さくても豊かな経済の作り方』が発売になった。 日常的な様々なことを無料でやる方法と、なぜ無料が必要なのかの解説が書いてある。詳しい出版の意図などはまたあらためて書くとして、まずは目次を紹介したい。じっくり書いただけに、他の本に比べて内容が詰まっているところが売りなので。 まえがき 1.貰う──無料のやり取りの輪を作る 贈り物を貰おう/「不要品放出サイト」で貰う!/不要品放出市〈0円ショップ〉」/不要品を回す「店」/世界に広がる不要品市/カンパを貰う方法/クラウドファンディングで集める/「寄付」もいつかは返ってくる <この章のレクチャー>贈与経済とは何か? 普遍的な経済の形は「贈与」/増える日本人の贈り物/なぜ寄付をするのか?/贈与はいいことばかりではない 2.共有する──余っているものを分け合う 当たり前だった「貸し借り」/自宅パーティー、道具、服、DVD/人の家に泊まる・泊める/スイスの青年を六週間泊めてみた!/無料で泊まれる〈カウチサーフィン〉/ベトナムでのカウチサーフィン体験/有料で部屋を借りる・貸し出す/車を相乗りしよう/「ヒッチハイク」も空席のシェア/ネットの無料共有物を使う/庭を解放する「オープンガーデン」 <この章のレクチャー>なぜ私有が行き渡ったのか? 農耕社会が土地の私有を生んだ/日本の共有財産「入会地」/共産主義は共有財産社会を目指した/新しい共有の時代 3.拾う──ゴミは宝の山 近所のゴミ、店のゴミ/おから、…

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贈り物とお返しの経済

贈与と返礼について書いた過去記事をアップ。 資本主義には贈与経済で対抗すべきだとは思っている。 ただし、贈与経済を極端に崇めるのにも抵抗があり、古い社会、村社会、人間本来の性質などについても同様だ。そんなにいいところばかりであったはずはないし、かつての風習の悪いところも見なければ、今の時代に合ったより良いものを作り出すこともできない。 村の相互扶助や共同作業に協力しない者への制裁として「村八分」はあったし、それ自体悪いものではないが、贈り物への義務とされた「お返し」を、現代でどう位置付けるかも問題になる。 こうした煩わしさから逃れるために、近代人が個人の自由を求めたことには、十分な理由があるのだ。 今の社会が悪いのはAというもののせいで、それをBというものに変えたら(あるいは戻したら)すべては解決するのだった!などという誰も気づかなかった「解」などというものはないのだ。 『気流舎通信1 SOMA号』という伝説のzine(2013年10月)に、「贈与とお返しの経済」のタイトルで寄稿した。この媒体も、今は品切れ状態だが素晴らしい。一部書き足した。 ************************* ヒトは贈物をやめない お中元は、一説には明治三〇年代に、大売出しを催す百貨店の影響で定着した習慣で、それが戦後ますます盛んになったのだそうだ。あまり感心しない経緯だが、それでも日本に住む人々は、夏の盛りの時期には盆礼、暑中見舞いなどの贈物をしてきたのだから、やはり興味深い。 …

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無料の放出市0円ショップ ただであげるのは「損」か?

ここ5年程、0円ショップという路上アクションを何人かの仲間でやっている。参加者が月一回、家の不要品を持ち寄って道の隅に並べ、道行く人にただであげているのだ。服、家庭雑貨、本、CDなどが、毎回シート4枚に広げるくらいが大体はけていて、街の名物になりつつある。詳細はツイッターアカウント@kunitachi0yenを見てほしい。放出品は、残った場合は持ち帰りだが、持ち寄り大歓迎だ。覗きにだけでもいいからぜひ来てみてほしい。 街頭では「なぜただでやっているのか」と聞かれることが多い。出しているものが家の不要品だと言うと大体納得してもらえるが、それだけでなく、面白い人がたくさん集まってくるなど他にメリットがたくさんあるので「損」などとは思わないのだ。 それでも、一銭にもならないことにこんなエネルギーを費やすのは「損」なのではないかと思う気持ちもわかる。それについて考えさせられることがあった。 0円ショップの初期からの常連だったKさんが、今年病気で若くして亡くなった。古着やレトロなグッズを見て回るのが好きだったKさんは、時には0円ショップ用に物を買うこともあると言っていた。自分はそれを聞いて、「それは違うんじゃないか」などと言ってしまったのだが、Kさんは「ひとつ高々50円や100円ですよ」と笑っていた。彼がその頃、自分の死を予感していたかどうかはわからない。けれども、亡くなった今にして思えば、あの世にお金を持っていけない以上、その使い方は正しかった。 今自分は、彼が出してくれたTシャツやジャケ…

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