巨大台風が来ると盛り上がるわけ (みんな一緒編2)

巨大台風が来ると盛り上がる話の三回目。
前々回になぜ盛り上がるのかを、「非日常的なものにみんなで飲み込まれる」からだと書いたが、ここでは「みんな一緒に」の部分について。
前々回も書いたが、巨大台風が来る時に盛り上がる心性は、不謹慎と切り捨てられるようなことでもなく、考えるべき大事な問題だ。


まず言えるのは、巨大な台風が東京を襲う場合、こんなにみんなで同じ経験をする機会はめったにないということだ。台風が通過している最中、東京にいるおそらく全員が暴風雨のことを心配しただろう。
自分もネットでどの川が氾濫しそうなのか、飽きることなく検索していた。

「みんな思いが一緒」だと感じた時、何であれ涙が出るような熱い気持ちにならないだろうか? そこに、みんな動きが一緒、格好が一緒が加われば、熱さはさらに増す。
これは社会的動物である人間に元から備わっている性質なのだと思う。だから、悪いものとして切り捨てることなどできない。


2619968802_0722139041.jpg我々は日々、「みんな一緒」になれるチャンスを求めている。
ライブ会場やスポーツの会場などは、以前よりも「みんな一緒」になっているように見える。ライブで全員が手を上げて左右に振る習慣や、スポーツ観戦でのウェーブなんかは以前にはなかった。
ひとりのリーダーを壇上に上げて、大勢でワーッと歓声をあげると、何であれ、胸が自動的に熱くなるだろう。

人間は「みんな一緒」を肯定しているのか否定しているのか、まだよくわからない。それを決めていない。ただ今の日本について言えば、個々バラバラよりはみんな一緒のほうがやや人気があるように見える。

現代に生きる我々は、各々が個々バラバラだ。イスラム圏のように全員が一斉に祈る機会もない。おそらくそれだけでも、我々はどこか寂しく思っている。さらに友達がいない、家族がいない、などが加わると、寂しさは否応なく増す。孤独感や無力感に苛まれるようになる。

とは言っても、全員が同じことに関心を持つ瞬間など、そうそうあるだろうか?
かつての村の社会での祭りの興奮は、それを満たしただろう。年末年始も全員を飲み込む一大事だ。台風が直撃する直前、最中にも、我々はそれを感じるのだ。
そしてその中にいる時に限り、人々は孤独や無力を恐れることから逃れられる。このことは、前回のブログに書いたとおりだ。


「みんな一緒」がいいのかバラバラがいいのかは、そんなに簡単に結論を出せる問題ではない。
ナチスの写真(パブリックドメイン)を載せてしまったが、ナチスやヒトラーに例えるのは何でも悪く見せるための初歩的な手口なので、あまり芳しくない。
不安や無力を強く感じる人は、「みんな一緒」に走りやすいことは確かだ。自分もそういう時のほうが、台風で盛り上がる感覚は強かった。
そんな時に「みんな一緒」を利用して癒されるのは悪くない。(自分はライブ会場で、「みんな同じ動き」を決してやらないが)。


ただ、「みんな一緒」になれば幸せなのかと言えば、そんなのは大間違いだと言っておかねばならない。外見がそう見えるだけで、その裏には「自分をなくす」という不快感が常にあって、それはどんどん大きくなる。
自分が長い年月をかけて作り上げた、考えや行動についてのポリシーというものはとても大事なものだ。特に考えについては。
それらをひとつずつ譲っていくにつれて、自分はどんどん小さく思えてくる。ほどよく持っていた自信もなくなってくる。「みんな一緒」を指揮している人間が、やたらと偉く見えてくる。誰にもそんな経験があるのではないか。
こういうことは誰も表には出さないので、写真で見ることはできない。写真で見るのは、みんな一緒でワーッ!!という場面のみだ。


長くなったので、このへんにしておこう。
台風から随分離れたが、最後のところが書けてよかった。

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