「不適応者のオンライン茶話会」、いったん始めてから修正する

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、前回は20人弱。小部屋に分かれて、人によっては飲みながら駄弁ることができるようになり、実際の居場所にますます近づいてきた。

自分について言えば、4月初めの緊急事態宣言が出たころに比べれば、気分の悪さも軽くなってきた。感染や重症化はあまり心配していないので、不安というより「気分の悪さ」だっだ。
自己分析すると、やはり毎日の感染者数が減ってきて先が見えるようになったのと、こうしてオンラインで会話できるようになったのが大きい

日時:5月17日(日)16時~ 本編2時間
あとはこれまでと同じ。


20200510 ぼかし.jpgところで、この茶話会をやってみて考えたことがある。
それまでオンラインは違うと思っていたのに、4月の居場所の時期になって、やはりオンラインでやることにした。つながりづくりはどう考えてもこの時期に必要であり、何よりも自分がきつくなったのが理由だった。

最初は数十人なのか数人なのか人数の見当もつかず、Zoomも使ったことがないので、大人数のミーティングがどんなものになるのかまるで読めない。話のまわしかたも、時間も、どうすれば居場所のようになるのかわからない。

自分が行ったことがある読書会を参考に、一人ずつ話を何巡も回すことにした。誰かが一方的な話をするよりは、居場所っぽくなったが、ポンポンと発話することが難しい。
そのうちに別室機能が使えるとわかり、それを利用するとますます居場所らしくなった。
回数も週1になっていたが、こういうふうになるとは思っていなかった。

見当がつかないからと、始めないことも十分あり得た。自分は不安が強いので、なんでも慎重に細かいところまで問題点を検討し、それらがクリアできるまでは始めないほうなのだ。
けれども最近は色々な活動をしはじめて、それも変わってきた。
物事は途中で修正できる(すべき)部分が大きい。
始める前の「〇〇になったらどうしよう」という懸念も、やっていないので大して当たっていないのだ。
その大部分は杞憂に終わるのが常だ(さらに杞憂が多いことはなぜか忘れる)。ありがちな言い方だが、始めてみないとわからないのだ。
それをまた思った。
別にそれほどのことやってるわけじゃないが。


※ちなみに自分(鶴見)は、この居場所の参加者兼管理人の一人にすぎないので、念のため。

※毎週やっているので(この先少し頻度が減るかもしれないが)、参加は無理せずに。また途中で退室したり、映像をオフにしてもかまわないです。席を外しづらいけれども、意外と人は気にしていないと思う。

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