「不適応者のオンライン茶話会」のお知らせ

4月の「不適応者の居場所」は、Zoomというオンラインミーティングのソフトを使って、オンラインで話しませんか?本来は「会って駄弁ること」こそ大事だと思ってやっている活動なのですが、今は東京でも感染が広がっているため、それが難しい。けれどもこんな状況で、不安にならないわけはない。本当はこんな時こそ、つながりを作って、孤立感を解消せねばならないところです。 Zoomはこの間世界中で一番よく使われているオンラインミーティングのツール。大勢の人が同時にテレビ電話をしているようなものです。そこで、今どうしているか、心配していることなど、言い合ってみるのはどうでしょう?ただし参加者の安全は守らねばならないので、参加資格はすみませんが、これまで2、3回以上は居場所に来た人に限定します。 ●日時:4月18日(土) 16時~、40分(1回目)+10分休憩+40分(2回目)●参加できる人:これまで「不適応者の居場所」に2、3回以上参加していただいた人 ●参加方法:Zoomで「不適応者のオンライン茶話会」のミーティングに参加してもらう。①まずTwitterで鶴見にDMを送ってもらい、居場所にいつ来たか、自己紹介の時に言った名前など教えてください。誰だか明らかな方は別の方法で鶴見まで連絡も可。②鶴見からミーティングのURLを返信します(前日くらいになるかも)。③開始時間になったらURLをクリックして参加してもらい、鶴見が許可をすればOK。 ●会の運び方:基本は順番に話をして、応答入れたりするのがいいと思いますが、…

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緊急事態宣言下、心の健康を守るためにできること集

緊急事態宣言によってさらに厳しい外出自粛が求められているので、そんななかでもできる心の健康を維持するための対策を挙げてみる。どこかに通わない自宅生活数十年の自分が大事だと思うものを。もちろん誰にでも当てはまるわけではない。 ●散歩・ジョギング・サイクリング いきなり外出じゃないかと思われるかもしれないが、不要不急の外出とはこういうものを指しているわけではない。それを知らずに、この期間中まったく部屋から出ない人がいるのではないかと、逆に心配になる。欧米でさえ、個人が自宅近くでやる運動は認めている。犬の散歩を含める国もあるし、感染者の多いアメリカでもサイクリングを認めている。その点日本では、心や体の健康について国や自治体は重視していないので、言及されることも少ない。下手に店になんか行くより、十分に人との距離を取って散歩して帰って来るほうが、感染を止めるためにはずっと有効だ。 健康維持のための散歩やジョギングなど生活の維持に必要な場合には外出できます (内閣官房HP) 自粛期間に限らず、心の健康のために一番大事なのは「外に出ること」だと思っている。外に出た瞬間にふっと感じる何か違う肌触り、あれは大きなものなのだ。特に今は季節がいいので有効。 ●植物の世話をする 人間以外の生き物の世話をするのは、この時期とてもいい手だ。自分の場合は植物というか野菜。野菜をやる前10年くらいは主に鉢花をやっていたが、ホームセンターで安い苗を買って、花を育てるのもいい。ペットがいる人はこの時期もっといいだ…

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プロ奢ラレヤーとの対談記事

プロ奢ラレヤーと対談した記事がアップされた。鶴見済×プロ奢ラレヤーが語る、“贈与経済の今後” 「レンタルなんもしない人」によって一気に有名になったこうした活動、自分はかねてから、お金を貰っていなくても相手に何かを与えてその見返りを受け取っているものだと思っていた。レンタル氏は今は有料だが、仮にお金を受け取ったとしても、こうした活動はやはり支持する。 お金をまったく使わなかったことで知られるドイツのハイデマリーは、晩年の20年を、泊めてくれる人の家を渡り歩いて暮らしていた。かつて教師やカウンセラーだった彼女は、何もしなかったのではなく、よき相談相手、よき同居人だったのだ。いわゆる労働でないことでも、人は価値を生み出している。 金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 (ハイデマリーの紹介記事)

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兄弟姉妹間のDVが問題にならない件。 自分も被害を受けていた

兄弟姉妹間での嫌がらせや暴力について、あまり話題になることがない。親子や夫婦間の暴力や虐待は頻繁にニュースになり、取り締まる法律もある。けれども兄弟姉妹間についての法律はない。むしろ、親子や夫婦間よりも頻繁で、根深くなるのではないかと思えるが。互いに子供、あるいは若者なのだから。 兄弟姉妹の喧嘩について少し調べただけでも、「仲がいい証拠」「親が介入しなくていい」といったアドバイスばかり出てくるのだ。「取っ組み合いの喧嘩をしていても放っておけ」とまで言われている。喧嘩は仲が悪い証拠だと思うが、その逆とは恐れ入る。 そしてそのプラスの面として、「手加減を学べる大切なもの」という説がよく付いてくる。それは何か実証的な根拠のある説なのだろうか? 学ぶどころか、体格がよくなるにつれて暴力がエスカレートする傾向もあると思うのだが。暴力は親が使おうが、子供どうしだろうが、よくないものじゃないのか?「親がジャッジしてはいけない」もよく出てくる。「喧嘩両成敗」という悪しき慣習はこのへんから来るのだろう。 兄弟喧嘩が子供を成長させるって本当!? (これはその一例) すべてがおかしい。と言うより、正直言って腹立たしい。兄弟姉妹は年の差もあるし、まったく対等であるはずがない。体格の違う者どうしが、ハンデもなくボクシングをやっているようなものではないか。反論など無限に出てきてしまう。 子供がいないので、自分の体験や、知り合いなどから聞いた話しか参考にできない。ただ「喧嘩」などと、まるで対等な何かであるように言われ…

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「不適応者の公園散歩」の報告、コロナ騒動と人が集まること

3月の「不適応者の居場所」は、感染対策として井の頭公園を散歩する集まりにしてみた。駄弁る会ではなかったのは初めてのことだ。参加してくれた人は30人くらいと、予想外に多かった。確かに自分が人づきあいが苦しい時だったら、会話の会より、こちらのほうが楽だと感じたかもしれない。ジブリ美術館を見ればジブリアニメの話になるし、バードサンクチュアリを通れば野鳥の話ができる。玉川上水や、もちろん公園の池やもうすぐ満開になる桜など、話題には事欠かない。13時から歩き始めて、途中2回広場に各自敷物を敷いての駄弁り休憩も入れつつ、結局17時半頃まで歩いてしまった。 春になって花が咲いている公園は、それだけでも気持ちがいい。そこに人が集まるとなるとさらに気持ちよさが増す。 コロナ騒動が起きて、人が集まることについて誰もが考えさせられたことだろう。ライブ、スポーツ観戦、宗教の集会などはどれにも共通したイメージがあると感じていたが、やはり今回はどれも問題視されて話題になった。人は単に必要な栄養を摂り、危険から身を守り、衣食住が足りていれば十分生きられるのに、なぜ古来からわざわざ集まって生きてきたのだろうか。衣食住は「生物学的に生きている」状態を保つために欠かせないことだが、それだけでも人は十分には生きられない。「生きたいと思う」レベルには少し足りない。そのためには面白味や興味や気持ちよさを味わうことも必要で、そのなかでも簡単で大きいものが「集まる」だったのだろう。もちろん肯定される関係のなかで。大集会には、同じ趣味趣…

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3月21日「不適応者の公園散歩」のお知らせ

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、3月は井の頭公園の散歩をしたいです。こうした理由は、もちろんコロナ感染対策。政府や都の自粛要請があったからではなく、万が一(以下?)の感染リスクを避けるための自衛策です。それに自分を含め、参加する人がもやもやした気持ちになるのも避けたいので。13日に会場を予約していたのですが、こちらは取りやめました。去年のような花見ピクニックもやめておいて、公園を桜を見ながらだらだらと散歩したいです。暇な方はぜひ。 日時:3月21日(土)13時~4時間くらい?場所:吉祥寺・井の頭公園集合場所:野外ステージ(吉祥寺駅側にある)の前に13時コース:大体、ジョギングの「よくばりコース」の、終わりのほうを端折ったコース(3キロくらい?)。http://running.ciao.jp/ig-yokubari-1.html野外ステージから池を反時計回りに回ってジブリ美術館のほうまで歩き、再び池に戻って、池のまわりを一周する。何カ所か(文化交流広場のあたりとか)で座って休む時間を作りたい。後半休むところがなければ、井の頭公園駅のほうまで行くかも。注意:各自飲食物(必要なら)や座って休む時の自分用の敷物などは持ってきてください。感染対策も各自で。今回はカンパは集めません。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 井の頭公園は、都内の広い公園のなかでは一番気に入っているところ。広い池に桜…

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コロナ渦中にお薦めの落ち着く場所は「墓地」

コロナウイルスに関するあれこれで気が滅入っている人にお薦めの、心が落ち着く場所がある。広い墓地だ。墓地は実は公園のようにも利用されている。自分も先日、ある市がやっている公園に行こうとして、感染対策で閉まっていたため(なぜガラガラの公園が?)、墓地に行ったのだった。 いつもそこをブラブラしながら、なぜこんなに落ち着くのか考える。一番の理由は「死ぬことを思うから」なのだが、大きなテーマすぎて、それについてはまた別の機会に。建物がないので空が開けていて、しかも動きや生命感がないので、異様に静かだという理由もある。そんな場所は他にはない。 そして大きいのは、どうしても過去の長い時間に思いを馳せるからだ。 過去の、時には未来の、長い長い時間に思いを馳せると心が落ち着く。古い建物や遺跡を見ている時の独特の静かな気持ちも、そのせいなのではないかと思う。むしろそれが目的で、人は名所旧跡を訪れるのかもしれない。以前にエジプトのピラミッドに行って、ピラミッド、空、砂漠ばかりの風景を目にした。これらはどれも、4千年前から変わるものではない。4千年前の人もこの同じ風景のなかにいたのかと思うと、興奮するのではなく、気持ちがシーンと落ち着いたのを覚えている。 日々生きていると、どうしても近い過去や近い未来のことばかり考える。近い時間は動きが速いので、とてもせわしない気持ちになる。まるで凸レンズを覗くように、近くばかりが大きく、遠くは小さく見えてしまう。けれども遠い過去も、やはり今と同じように、それぞれ濃密な時間が…

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「私は私、あなたはあなた」という胸に来る真理

私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。私がこの世界にいるのは、あなたの期待に応えるためではなく、あなたがこの世界にいるのは、私の期待に応えるためではない。私は私、あなたはあなた。私たちがたまたま出会い、互いを見つけるならそれは素晴らしいこと。私たちが出会わなくても、それもまたいいことだ。 これは『ゲシュタルトの祈り』と呼ばれる詩で、ゲシュタルト療法という大きな心理療法を作ったパールズが、療法の基本となる考え方を盛り込んで作ったものだ(「祈り」ではなく「願い」と訳すべきだと思う。ちなみにこの療法についてはそれほど詳しくない)。 当たり前のことなのに、なぜこんなに胸に来るのだろうか。パールズがこの詩をワークショップで読み上げていたことの重みを考えたい。このことがわからなくなって心を病む人が多いということだ。 これは冷たい考え方だろうか?昭和の頃までの日本であれば、そう思われただろう。他の誰かのためにすべてを捧げてつくすような姿勢は、長らく尊いとされてきた。例えば家族とか、恋人とか。企業のために生きた会社員も同じだ。本来、他人のためを思うのはいいことだ。しかしそれは、単に他の誰かに自らの生きがいを依存する口実になってしまうこともある。自分が生きがいを依存した相手が理想と違ってきたら、「好きにすればいい」とは思えなくなる。依存された側ともども不幸になってしまう。他人に生きがいを依存しなくて済むように、まず自分が生きがいを見つけ、幸せになることはとても大事なことだ。そんな人間同士がつな…

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英会話がいきなり楽になる用語集(初心者用)

自分用にメモしておいた、英会話に使う言葉集を共有しておきたいなとかねがね思っていた。英語を話さねばならない時には、いつも事前にこれを見ておく。自分は英会話初心者なので、初心者用ということになる。外国人との初歩的会話で自分がよく使うのは、多い少ない、早い遅い、以前・もっと先、よくある・普通・滅多にないなどなど、程度や比較を表す言葉だ。日頃そんな話ばかりしていたんだなと、英語になってみて感心するほどだ。そして頻繁に使いたくなるのが、「~かな、わかんないけど」「かもね、多分」「場合によるけど」といった「濁す言葉」。これまた日本語で、どれほど使いまくっているのか思い知る。とりあえず、「I'm not sure」と「It depends」は超の付くお薦めフレーズだ。あとは「complicated」がいい。複雑で説明しきれない時、これを出せば一発。ここには書かなかったが、「That's good」も自分はものすごく使う。単なる相槌だが、何種類かあるといい。 *************************************************** I’m not sure. よくわからないがIt depends. 場合によって違うcomplicated 複雑なin detail 詳しくin more detail もっと詳しくI didn’t know 知らなかったnot necessary, no need 必要ないmaybe, might 多分、かもしれないmay I ~ してもいいですか?…

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2月の「不適応者の居場所」の報告

2月の「不適応者の居場所」は、地方からはるばる来てくれた方、そして初めての方も多かった。 バレンタインデーの翌日ということもあって、手作りのチョコを差し入れてくれた方(男性)もいて(容器も自作)、皆でチョコを食べることができた。ワインなどの差し入れや修善寺のお土産もあった。つながりをなくしがちだと贈与も結構難しく、もらうのはもちろん、あげることも意外にできないのだが、集まりがあればそれができるのだなと思った。 贈与や共有はもちろん好意のやり取りの一部なので、贈与返礼やシェアが世の中に広まれば、自動的に好意のやり取りも広まるという面がある。シェアがいいことだと思われる背景にはそれもあるだろう。この日も0円ショップの物はよく捌けていた。 こういうことを書くのには、ためらいもある。「好意をやりとりする」などと言っている集まりは、単純に気持ち悪いと思われるかもしれない。みんながハッピーで笑顔の会なんじゃないかと。全然違う。一度「悪意のぶつけあいはもうこりごり」というところを通った人たちがやる「悪意回避」の集まりは、根っからハッピーな人たちの集まりとは別物になるのだと思う。ハッピーな集まりを否定しているわけではないが、後者のようなものがこの社会にはもっと必要だ。 その他、旅好きの人が集まる各地のゲストハウスが、つながり作りの拠点になっていることも知った。 初の16時スタートにしてみたものの、最初の1時間はガラガラ。18~20時台の3時間くらいは人数限界という状態だった。

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