死んだらどこへ行くのか、見田宗介追悼最終

見田宗介氏追悼記事の最後は、「波としての自我」の話をぜひしておきたい。ただこういう話、ガッツリやろうとすると、仕事みたいに大変になるので、適当にやりたい。我々は生まれる時にどこからやって来て、死んだあとどこに行くのか?いきなり何言ってんだと思うかもしれないが、これは多くの地域の神話・民話に見られる、人間が持つごく普通の疑問だ。 その答えになる見田氏の言葉を少し、『現代との対話 見田宗介』というインタビュー本から。 「〈私〉は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちの様々なかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと」。「海が宇宙だとすると、波というのはある数秒間の形としてあるわけです。自我というのは宇宙の海の波みたいなもの」 この「自我=波」という例えは、本のどこかに書いてあっただろうか?本来は『自我の起源』に書いてあるべきことなのだが、ここにはない。(ただし、この本の表紙を見よ!)。それでもこれは見田氏の論のなかでも、最大レベルの重要事項だと思う。 そんなわけでこれから書くのは、自分がその骨格に勝手に肉づけしているものと思ってほしい。 まず、自我は「自己意識」と言いかえることができる。「自分で自分を意識している」ことで、これは生物のなかでも人間にしかないものとされる。自己意識の誕生は、生物進化の流れのなかのひとつの大きな山と言える。(このあたりは『自我の起源』から)。 では、自我が波とはどういうことか? 波は海の水の高まりで、海が盛り上がっては波(あるいは波頭…

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見田宗介作品ベスト3、「我々はみんな死ぬ」ことの価値

先日死んだ見田宗介氏の作品や考えも、せっかくの機会なので紹介せねばと思う。まずおすすめ本を挙げるけれども、そういうものはマニア向けなので、よくわからない人は飛ばしてもらっていい。それでもぜひ、後半の彼の考えのところは読んでほしい。 鶴見個人が選ぶ見田作品ベスト3はこうなる。 ①『自我の起源』(93年)②『気流の鳴る音』(77年)③『時間の比較社会学』(81年)(すべて真木悠介名義) 以下は補足的に。・『現代社会の理論』の「4章2項と7項(単純な至福)」(96年)・『社会学入門』の「6章 人間と社会の未来」(06年)・『〈現在〉との対話5 見田宗介』の「4章 波としての自我」(86年) さて、まず②の『気流の鳴る音』のなかの、自分としては絶対に読んでほしいところについて書く。それは本文ではなく、巻末にボーナストラックのように入っている「色即是空と空即是色」という短い文章だ。ここで言っていることは、4章「心のある道」の結論にもなって出てくる。つまりこの本のなかでも、一番か二番目の主張と言える。 何が書いてあるのかというと、、、、 戦後南の島の収容所でつかまっていた戦犯たちが、死刑判決を受けてまた収容所に戻る。その帰り道。何度も見ていたはずの通っていた道や小川が鮮烈に美しいものに見えたと、みんな同じように書き残しているのだそうだ。なぜそういうことが起きるのか?それまで先のことばかり思いわずらっていた意識が、先がなくなったとたんに、「今生きている世界」に向いたのだ。よく見れば美しいもの…

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見田宗介の死、「ほんとうに切実な問い」

有名な人が死んだ時にやる追悼表明は、ちょっと苦手だった。追悼のためと言うより、その話題に便乗しているように見えてしまうことが多かったので。 けれどもさすがに、ザ・スターリンの遠藤ミチロウ氏が死んだ3年前には、追悼の記事を書いた。その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。それが見田宗介だった。 誰かを英雄視したり偶像視したりするのにもまた、自分には大きな抵抗があると言っておきたい。それでもやはり、見田宗介が死んだら何か書くだろう。 見田さんは、日本を代表する社会学者と言っていい。そして自分は大学で5年間(笑)、見田ゼミに出ていた。単位は3年までにほとんど取ってしまっていたので、4年目5年目は授業に出る必要もなかった。その間、このゼミ以外に大学で何をやっていたのか、よく憶えていない。 見田さんが授業で言っていた言葉で、心に残っているものがある。「大学に入ってくる時には、みんなとてもいい問題意識を持っている。けれどもあれこれ学んでいるうちに、その問題意識が拡散してしまって、つまらないテーマで卒論を書いて出ていってしまう。それがとてももったいない」といったことだ。 「自分にとって本当に切実な問題を考える」。そういう言い方もよくしていた。 さっそく同じく見田ゼミだった友人と、あれこれ話していて気づいたことがある。自分の問題意識や研究分野を限定しなかった見田宗介の理論は、少なくともいくつかの分野に大きく分かれる。そ…

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風のなかの居場所@二子玉川河川敷の報告

昨日は大変だった。一度はもうだめだと思うほど大変になった。 当日の天気を気にすると言えば、まずは雨、そして気温。風なんて眼中になかった。風のことまで読めるわけない、、、、、 予報の風速6~7メートルを見て、嫌な予感はしていた。会場に行ってみると、まず予定していた芝生のエリアは工事中で立ち入り禁止。そして普通にかぶっている帽子が遠くに飛ばされていくほどの強風。 風が避けられる橋げた近くにシートを敷いたのに、それでもシートも何もかも風で飛ばされてしまう。シートをしっかり石で固定しても、何度も何度も遠くまで飛ばされる状態。この時点で、「しまった!今日はできない」と思った。(この時点で、持ってきた水筒いっぱいのお茶が、リュックの中にすべてこぼれたのを発見!)(うわーやばいやばいとリュックから出したびしょ濡れの物たちも、当然すべて飛ばされた)。 それでも前々から呼びかけをしていて、もう向かっている人もいる時間なので(開始15分前)、とりあえず今の地点の告知をした。「とにかく風が強くて場所も不本意で最悪ですよ」と。居場所をやっていて、ここまで追い詰められたのは初めてだ。そんな時、近くで一人だけずっとラクロスの壁打ち練習をしていた人が帰った。その人がいたあたり、しかも壁にぴったりとつくほどの壁際に行くと、風の影響をあまり受けないではないか!最悪の景観だけど、そこに壁にぴったりくっつけて横長の居場所を設置。(下の写真のグラフィックのあたりに移動した)。 そんな告知をしたのに、参加者は30人以上や…

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3月の「不適応者の居場所」はまた川で

3月の居場所は、去年と同じく二子玉川の河川敷エリアでやりたいです。暖かくなり、まん延防止措置も終わり。都の公園ではピクニックを制限しているところもあるけれども、ここなら桜がないのでそれも無関係。今年もまた兵庫島公園でやろうと思っていたところ、しかし! 兵庫島公園は今工事中で肝心の川沿いのエリアが立ち入り禁止になっていると判明。しかも週末雨予報もあり、何重もの苦難をかかえてしまいました。 それでもまあやってみようと思いました。なんとかなるでしょ。現地がどうなっているかは行ってみないとわかりませんが、さすがに下見までする気はありません。その近辺のどこになるかわかりません。少し遠いピクニック広場まで行かねばならないかも(そこならOKと確認済み)。あるいは、二子橋の向こうのエリアに行くかも。せいぜい春を楽しみましょう。 日時:3月26日(土)13時~17時 (雨天の場合は翌日に延期。寒くなったら早めに終了) 場所:二子玉川・多摩川河川敷の兵庫島公園かピクニック広場か、二子橋より下流のエリア。   正確な場所は、当日決まり次第Twitterの鶴見アカウントで発表します。 持ち物:各自の食べ物、飲み物(酒OK)。おいしい食べ物は、カンパ制でおそらく多少あります。 対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。・当日の気温は高いですが、去年も昼は暑いくらいだったのに、夕方近くになると風が…

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「オンライン居場所@一番よかった映画」の結果

2月の不適応者の居場所は、オンラインで、「一番よかった映画」を各自推薦しあった。あがった映画は下記のとおり。ちなみにこの会にもとうとう海外(カンボジア)からの参加があって、カンボジアでのポルポトによる虐殺を描いた映画も紹介してくれた。当地のコロナ情報もためになった。 <最初にあげられたもの>早春スケッチブックビューティフル・マインドザ・コンサルタント地獄の黙示録白鯨パーフェクトワールド最初に父が殺されたパルプ・フィクションリリイ・シュシュのすべてレニー・ブルース人数の町バタフライエフェクト肉乃小路ニクヨ(YouTuber)<2番目以降>ショーシャンクの空に聖者の眠る街タクシー運転手Once upon a time in Hollywoodレザボアドッグスセデックバレアインシュタインの脳ローカルヒーロー  ミスト ちなみに、自分が話したことのひとつを。映画でも音楽でも、この映画館、この雑誌、このラジオ番組で紹介していた、みたいなものを参考にして見たり聴いたりしていたのに、今はその部分がなくなってしまった。だから、いいものがあったとしても見つけられない。映画も音楽も、作品そのもの(と数行の解説)を参考に、超メジャーも超マイナーも渾然と大量にあるなかから、受け手が直に手探りで選ばなければならない。そのせいで、ある程度保証がある、エンタメ的に優れている作品をつかむことになって、そんな作品ばかりになったと思うのかな、など。 韓国が国としてエンタメに金をかけているという話も、知ってよかっ…

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2月のオンライン居場所は「一番よかった映画」でどうか?

残念ながら、またしてもオンラインになってしまう2月の居場所。今回は「これまでで一番よかった映画」を紹介しあうのはどうでしょうか? しばらくテーマを設けた哲学カフェ形式が続いたので。しかも以前には、本+音楽を紹介するという、変形読書会もやってしまったので、映画ではどうかと。映画だけでなく、アニメ、ドラマ、ドキュメンタリーも含めた映像作品全般ってことで。 これまでで一番の映画ではなくても、紹介しやすいものでもいいです。みんなが知っていそうなもの、話に加わりやすいもの、見やすいもの、今話題のものでも。それを一巡したら、二巡目、三巡目とやっていく形で。 まずはどんな作品か紹介して、それの何が自分としてはよかったのか思いのたけを。さらにそれにまつわる、映画から離れた話を展開してもいいです。質問したり、他の人の話に乗っていくのも歓迎です。 ネタバレはやはりしないほうがいいですが、バレずに自分の思い入れを話すのも難しいので、まあ常識的な範囲でということで。 日時:27日(日)16時から2時間。方法:ZOOMで。 進め方:まず自己紹介してから、順に作品紹介、最後に感想。紹介部分は聞いているだけでもOK。 参加資格:一度は居場所に参加したことのある方。まだURLを知らない場合は、Twitterなどで鶴見まで。その際には、いつごろ・どこでの居場所に参加したか、その時に自己紹介で使われた名前や話された内容、容姿など、確認できる情報を教えてください(憶えている範囲で可)。最近のZoomでは、参加時のパス…

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1月のオンライン居場所は「無差別殺傷事件を語る」でどうか?

新年1回目の不適応者の居場所は、残念ながらまたしてもオンラインに逆戻り。ゆる哲学カフェでもやろうと思います。そしてテーマですが、色々悩んだのですが、「無差別殺傷事件を語る」ではどうでしょう。 主に最近の、京王線事件、大阪クリニック放火、東大刺傷事件、あたりについて。過去にも、京アニ放火とか、加藤智大の秋葉原事件、宅間守の池田小事件など色々ありました。今回はそれらの事件について、犯人について、動機について、報道について、ああだこうだ話すだけでもいいと思います。さらにこういう(欲求不満の爆発?)衝動に似た何かを感じるか、それにはどう対処すればいいか、など自分のこととしてもある程度は考えられるかと。 引っかかっているのは、管理人である鶴見がすでにこの件について色々言っているので、自由に議論しづらくなるのではないかということ。けれどももちろんそれに関係なく、違う考えでも何でも語っていただければと思います。 日時:1月30日(日)16時から2時間?やり方:Zoomで(URLやパスワードは同じ)ゆる哲学カフェ。テーマ:無差別殺傷事件を語る 進め方:まず自己紹介してから、テーマの討論をして、最後に各自が感想。討論の部分は聞いているだけでもOK。 参加資格:一度は居場所に参加したことのある方。まだURLを知らない場合は、Twitterなどで鶴見まで。その際には、いつごろ・どこでの居場所に参加したか、その時に自己紹介で使われた名前や話された内容、容姿など、確認できる情報を教えてください(憶えている…

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「死ぬために殺した」という証言は本心なのか?(後編)

「死にたい人は、他人に危害を加え、巻き込んで死のうとするものだ」といったおかしな見方が広まったら嫌だなと思って前回の記事を書いた。するとその直後に東大刺傷事件が起きてしまい、そんなことがごく普通に言われるようになってしまって、まいった。 毎年2万人も自殺する人は出るけれども、それらのほとんどの人がそんなことをしようなんて考えない。このことは、この長い記事の初めに言っておきたい。 「死にたくて、死刑になって死のうと思い、殺人(未遂)をやった」という論理が信じられないと前回書いた。そう語った焼き肉屋立てこもり犯は、「射殺されようとしてやった」と証言を変えた。本人によって「死刑になりたくてやった」は否定された。「射殺~」も相変わらず荒唐無稽なのだが、変わるくらいなのだから、その程度のものなのだろうと思わせる。(これについては、文末に紹介した犯罪心理学の専門家の意見も、よかったら参照を)。 そんなふうに犯人が犯行直後に語った動機を、いきなり真に受けていいのだろうか。もちろん自分だって、そんなのはひとりもいないなんて言う気はない。それでも「本心ではないのではないか」と思ってみる必要はあるんじゃないか。 京王線事件と東大事件************************************** 「死刑になるためにやった」の京王線事件の犯人は、「人の多いハロウィンの日を狙った」と言った。けれども、事件があったあたりの京王線は、ハロウィンだからと言って混みぐあいに変化はない。また、あの…

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「死刑になりたくてやった」を信じていいのか?(前編)

どうしても理解できないのに、世間が受け入れている言葉がある。「死にたかったので、死刑になりたくて(凶悪犯罪を)やった」というあの言葉だ。 まず、どうしても死にたいと思う。そして自分では死ねないと思った。(←この段階はあっさり通過される)そこで「そうだ死刑になろう」と思った。(←この時点でもうわからない)そのために、やりたくもない凶悪犯罪を犯そうと、計画を立て大胆に実行した。(←1ミリもわからない) あまりにもわからなさすぎるので、本心ではないのではないかと勘ぐっている。これまで本心でない可能性を、なぜ考えてこなかったのだろう? 少なくとも長いこと死にたいと思っていた自分の場合は、そういう発想は一瞬も湧かなかった。死にたいのに、そんな気力はどこから来るのだろう?自らの体験からのみ、疑問を持っているのではない。自分で死ぬことは怖いのに、死刑ならなぜ怖くないのだろう?筋が通らないと思うことには、疑問を持ち続けるべきだ。 焼肉屋に立てこもった犯人の、「死刑になりたかったからやった」という動機が、また大々的に報道された。まず、この犯行で死刑にならないことはわかりきっている。そして犯人は野宿友だちに、「刑務所に入れば飯も寝るところもタダだ」と語っていた。野宿友だちのひとりは、「死にたいとは言っていなかった」とも語る。立てこもっている間に「電車内の事件のようにしたかった」とも言っている。(「死刑に~」は京王線事件の犯人の語った動機でもある)。さらに犯人は立てこもっている最中に、テレビ局に「取材をよこ…

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