肯定される人間関係を見つければ人は幸せになる

今回はさらっと書いてみよう。 否定されている人間関係のなかにいることは、生きていて最もつらいことのひとつだろう。いじめを受けている人が自殺するのは、それが「死以下」だと見なしたからだ。家庭や職場で毎日のように否定されるのも、確かに最もつらいことに数えられる。 それよりは、一人でいるほうがマシである。肯定されない代わりに、否定はされない。 そしてそれよりマシなのが、肯定される人間関係のなかにいることだ。この状態を続けることができたら、それはもうかなり幸せな人生と言えるかもしれない(もちろん一定のお金は必要だが)。ただし、そこで否定されるようになるかもしれないので、危険はある。 たった一人でいることは、人間関係を持つことと対極にあるかのように言われているが、心理的には否定的な関係と肯定的な関係の真ん中あたりにあるわけだ。自分は人間関係すべてが嫌なのだと思っていた人も、「否定される関係」が嫌なだけで、「肯定される関係」であれば大歓迎なのかもしれない。 その先には「褒められる」「羨ましがられる」という段階もあって、この状態にある人はまず自殺するとは思えない。そのくらい生きるうえで軽視してはならない本質的なものが、「褒められる」のなかに入っている。それを口にしない決まりになっているのも面白い。が、それについてはまたの機会にしておく。 周囲から肯定されていることは、その場所を自分の居場所だと感じる決定的な要因になる。人間関係があっても、否定されているならば、人はいたたまれなく感じるのであって、そこ…

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2月の「不適応者の居場所」は15日(土)

つながりをなくしがちな人がつながる「不適応者の居場所」、2月は15日(土)にやります。春夏秋は自然を見るのにも各々楽しみがあるのに、冬はほとんどなし。冬の雲がない時の青空は、夏より色が薄く白みがかって(と感じる)、カッコいいなと思うことはある。けれどもやはり少ない。そして寒さは心を鬱にする。特に2月は1年のなかでも「死の月」と言えるのではないか。会話でもして、憂さ晴らししましょう。 日時:2月15日(土)17 16時~6 7時間くらい(途中から参加、途中退出ももちろん可)場所:高円寺・素人の乱12号店やること:飲食をしながら話すだけ。話さなくても可。費用:会場代、食べ物(ビーガン料理とスイーツのケータリング)代、飲み物(アルコール有り)代の約3 4万円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントや勧誘はやめてください(勧誘の人が来たという話も聞かないが)。支援活動ではなく、お互い様の原則で成り立っているので。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 ※開始を16時からに早めました。先月より来場者が多そうなので。さすがに早めの時間、特に16時台は空いていると思います。長時間で大変なので、多分終わりはだらだら長引きません。 ※会場奥に0円ショップを作っているので、放出できるものがある人、ただで物が欲しい人は使ってください。(残った物は本人が持ち帰り)。※途中で会場が一杯になってしまった場合は、時間をずらして来てもらうことになる…

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好意には好意が、攻撃には攻撃が返ってくる

人に好意を与えれば好意が返ってくるし、悪意や攻撃を与えると悪意や攻撃が返ってくる。世の中は実際にそうなっているし、誰も特別に偉くなんかないのだから、当然のことだ。攻撃はしたいけど、反撃は受けたくない、などということは許されていない。 今では昔ほどには意識されなくなったが、これはとても大きな原理だと常々思っている。しかも単に優しいだけの気味の悪い話とは違って、厳しい面も備わっており、そこがとてもしっくりくるのだ。何しろ世の中は全然甘くないわけだから。「自分がされたくないことは、人にしてもいけない」もこれと同じことなのだから、つくづく大事な原理だと思う。「お互い様の法則」などと勝手に呼んでいる。 お金ではないやり取りの経済は、贈り物(贈与)とお返しの連鎖でできている。この経済を「贈与経済」と言って、その仕組みを「互酬」と言う。「世話」のような物ではない何かをやり取りしてもいい。そしてこの「贈与・返礼」に悪意や攻撃(両者は必ずしも同じものではないが)のやり取りまで含めるのも、わりとよくある説なのだ。好意の連鎖みたいな話を聞いただけではあまりピンと来なかったのだが、悪意や攻撃まで含めるとなると、世の中にこの原理がいかに広く行きわたっているかがばーっと見えたようで、感激したものだ。 「人権や平等という西洋の思想が入ってくる前は、それに代わるものとして何があったのか?」などとよく言われるが、自分はこの「お互い様の法則」(公平とか)なのではないかと睨んでいる。村の寄り合いで話し合うことは、こんなことば…

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新年の「不適応者の居場所」報告

1月の「不適応者の居場所」は初の金曜17時からのスタート。最初の2時間くらいはゆとりの人数だったものの、20時くらいにはやはり上限(35人くらい)になり、21時くらいになるとまた空きはじめた。来る時の参考にしてください。さて、1月は遠方からの参加者が多かった。地方で0円ショップをされている方と初めて直接話せて、場所のことなど、知らなかった苦労話を聞けた。長野からの方が長野のりんごを差し入れてくれて、みんなで分けて食べられたのもなかなかよかった。 会社に勤めている方が、昼休みにも誰とも話さず、つながりがないと嘆いていた。以前には、毎日昼休み中、気の合わないグループのなかで自分だけ黙っているのが辛いと言っていた方もいた。もちろん、会社に勤めていないからつながりがないと言う人は、この居場所にはさらに多い。「単純な問題ではないな」と思う。 家族もそうだ。複数人で同居していても、ひきこもりの人もいるし、家庭内の喧嘩が絶えない人もいるし、一人暮らしでも活発につながりを作って活動している人もいる。家でテレビばかり見ている老夫婦は、一人ではなくても、社会的孤立の問題の対象であるなと思う。人数の問題ではない。 まあ色々思う。そして画像挿入がうまくいかないなとも思う。写真を中央に大きく置きたいのだが、そういう機能はこのブログにはないようだ。 ※小さい紫色の石(宝石?)を忘れた方がいたら、保管しています(連絡がなければ会場に戻します)。

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『月刊むすび』の連載継続中

相変わらず『月刊むすび』の、つながりづくりの連載は続いている。最新2月号は、つながりをなくすことと心の病、そして弱さを共有することのよさなどについて、「不適応者の居場所」を題材に書いた。 『むすび』は、マクロビオティックを提唱する正食協会が出している雑誌。そしてマクロビとは、日本の伝統食を元にした食事法と考え方、みたいなものだと解釈している。実践しているわけではないが、その土地のものを食べようという考え方なんかは、なかなかいいと思っている。自分でもできていないが、どうせほとんどの人にとって完全にできるはずもなく、「なるべくやる」とか「考え方に賛成」くらいでもいい。

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映画『わたしに会うまでの1600キロ』と不安をあおる社会

正月には何か一本、放浪ものの映画(ロードムービー)を観ることにしている。今年観たのは『わたしに会うまでの1600キロ』だった。 【ここからネタバレ】主人公が母の死から自暴自棄になり、性依存症や薬物依存に陥ってしまい、経験もないのに無謀にもパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)の踏破、つまり数か月に及ぶ過酷な長距離の山歩きに乗り出す話。道中の宿泊はほぼ、人気のない場所でのテント暮らしで、水や食料の不足、雪や野生生物に悩まされる。あまりにも過酷すぎて、死んでしまってもおかしくないなと思うほどだ。【ネタバレここまで】 これはアメリカ女性作家の伝記の映画化で、正直に言えば、実話ゆえに話の出来はそれほどでもない。それでも見ているだけで爽快な気持ちになるから、放浪もの映画は素晴らしい。我々の日々の暮らしには、こうしたものが必要なのだ。 今の日本の社会は、不安をあおる情報ではちきれそうだ。病気や事故の不安、老後、生活、災害、等々。もちろんもともとはどれも必要な情報であり、善意で流されていたはずだ。そのくらい警告するのが適当というものも、なかにはあるだろう。ただ全体的に見れば、適量を超えても止まらなくなっているのが今の状態と言える。 「公園での禁止を増やす自治体の心理」的なものの作用はある。あれもこれも危険だ、やめておけと言っておけば、社会全体が窮屈になったとしても、自分は責任追及を免れる。それは別の形の無責任でもあるのだ。 また、「不安情報は人の目を引くことを知っているマスコミの心理」的なものの作…

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新年の「不適応者の居場所」

2020年の最初の「不適応者の居場所」は、17日にやります。年末や正月はどうやって過ごすのがいいのかなど、色々聞いてみたい。新年会のつもりでどうぞ。 ちなみに自分は、年末はほぼ大掃除と正月の準備だけに明け暮れて、そして正月には日常的なことは一切やらないことを心掛けている。毎朝風呂に入って、毎日朝から酒を飲み、初詣など正月らしく賑わっているところに出かける。SNSはやらず、正月らしいお笑いの番組や映画を観る。何となくいつもどおりに過ごすことなどない。そのくらい真剣に(?)お正月(非日常)をやらずにはいられないほど、「日常生活」は嫌なのだ。 日時:1月17日(金)17時~6時間くらい?場所:高円寺・素人の乱12号店やること:飲食をしながら話す。話さなくても可(話すのが苦手な人も多いです)。費用:会場代、ビーガンの料理とスイーツのケータリング代、飲み物代(アルコールを含む)の費用約3万円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントや勧誘など、「お互い様」の原則に反する行為はしないでください。お互い様で成り立つ相互扶助の会であって、支援活動ではありません。目的:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっち等々、様々な理由でつながりをなくしがちな人がつながりを作る。 ※会場奥に毎回0円ショップを作っているので、放出品がある人や欲しい人は利用してください。 前回、前々回と人が多かったので、開始時間を早めた。平日17時台はさすがに空くと思うけれども、そう書くと以前にはむしろ混んでしまった…

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ベタベタした人間関係がいいわけではない

自分は親とは仲が悪くはないが、そんなに頻繁には会わないことにしている。あくまでも時々会うだけだ。なぜか。それは、近づきすぎると必ず、ああしろ、こうするなという特有の嫌な面が出てくるからだ。これまでにもそれで、何度も決裂して、そのまま絶交しそうになったこともあった。そうした経験をふまえての、互いの知恵なのだ。(もちろん今後どうなるかはわからないが)。 これは人間関係を考えるうえで、とても重要なことだ。人は、あまりに近づいていると、好感だけでなく「嫌だ」という感情も湧くものだ。人間は誰でも聖人君子ではないのだから。いつも口では聖人君子のようなことを言っている人間でも、近づいてよく見れば普通に醜い面を持っているのがわかる。 では、学校の人間関係はどうだろう。細々とした班、係、掃除、給食、学級会、朝礼、体育祭、文化祭、合唱祭、そして部活動。考えてみれば教科以外にたくさんの活動があることに気づく。うちは勉強だけ教えますという大学にはまったくないものだ。「特別活動」という日本独特の教育法である。あれらは道徳教育でもあり、「みんな仲良く」の教育とも言える。いじめへの対策として、特別活動をもっと活発にすることも提唱されている。 けれどもこういう対策には、人間の悪い面が見えていない。こんなに朝から夕までベタベタさせていたら、誰でも「嫌い」の感情が出てくる。それがいじめにもつながる。いじめの温床を自分たちで作っておいて、いじめをゼロにしようとしているのだ。もちろんうまくやれる相手となら、どこまでも親密になればい…

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今年最後の「不適応者の居場所」の報告

12月の「不適応者の居場所」は、またしても一杯の人に訪れていただいて、一時は30人半ばになってしまい、また時間をずらしてまた来てもらう方が出てしまった。中で窮屈な思いをした人にも、申し訳ない。なぜ人が大きく増減するのかはよくわからないのだが、Twitterとブログでしか告知していないので、ちょっとわかる面がある。今回は、前のブログ記事「異性とつきあったことがなかった話」へのアクセスがとても多かったので、その影響である気がする。その記事を読んで、ハードルが下がったので初めてきたという方もいて嬉しい。もっと広い会場をご存知の方、あるいは貸しますという方、いらしたら声をかけてほしい。まあ、条件が色々あるのだが。 今回も遠方から来られた方、初めての方が多かった。こういうつながり作りは、SNSがなかった時代はどうしていたのかの話は面白かった。00年代にはトークや上映のイベントが増えたので、それが役割を果たしていたことはある。90年代ならパソコン通信のBBSのオフ会もあったが、利用していた人は少なかった。基本的には「店」だったのではないか。自分が知っているのは音楽をかけたりライブをやったりする店くらいか。 現時点の世の中では攻撃してくる人間が多いのだが、居場所のようなところで攻撃も反撃もない世界を作ることはできる、などという話もした。内輪の攻撃にさらされないコミュニティで生きられたら、幸福かどうか知らないが、大きな不幸は免れる。 クリスマスが近いので、ケーキとシードル(りんごの発泡酒)を出すという、初の…

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異性とつきあったことがなかった話

男女一対一のつきあいをこの社会が褒めたたえすぎていることについても、見直すべきだとかねがね思っていた。 自分は30歳くらいになるまで、異性とつきあったことは一度もなかった。最大の理由は、高校から大学という普通なら一番異性とつきあいそうな時期に、心の病の関係で対人関係が非常にやりづらかったから。症状の重い期間は、そもそも異性とつきあいたいという気持ちがない(病んでいる人が皆そうだとは限らないが)。別に異性が嫌いではないし、話もする。けれども、そんなに重くない時期でも、男女一対一でつきあうのは対人不安を押してまではしなくていいかと思いつつ、結局引いてしまうというところだった。 30歳くらいになってつきあうようになったのはなぜかと言うと、書いた本が売れて雑誌などで散々持ち上げられたため、異性同性を問わずそれまでは知り合えなかった、気が合う人、話が合う人と格段に知り合えるようになったからだった。 ただしこれは、心の病とかそういう特別な話にしたくない。自分としてもそれだけではない。無理につきあわなくてもいいか、くらいに思っている人は、今の世の空気のなかでは言えないだけで、実はたくさんいるのではないか。そもそも、そんなに皆が皆、一対一で異性とつきあいたいと思うかどうかが怪しい。またあの、異性の目を気にして、自分をよく見せようと努力すること(カッコつけたり、かわい子ぶったり)をよしとする文化が嫌な人も多いだろう。自分にもそれはあった。 そもそもこの社会では、「若者=男女一対一の恋愛」というイメージが強す…

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