「不適応者の居場所」花見の報告

4月の「不適応者の居場所」の花見、外でのんびりできてよかった。フリーライターの方が、世界中を移動しながら仕事されてる話を羨ましく聞いたり。ヒップホップや最近の邦楽ロックなど、自分がよく知らないジャンルの話もまた、いいのを見つけたいが自分で掘るのは面倒なので、とてもためになる。また初参加の女性が多かったのは、外でやったからなのだろうか。19時に終了後、ずるずると23時まで残って飲み続けてしまった。 自分は酒が好きなので、こんなふうに安心して飲みながら、ああだね、こうだねと感心したり笑ったりしている時間というのは、自分の「いい時間」のなかでも相当上位に来る。これ自体が何かの手段ではなく、生きる目的の部類に入る(これは人それぞれだと思うし、自分も緊張しながら飲んでいる時などは、まったく別なのだが)。場所取りを始めてから12時間も外のさっぱりした空気を吸ったせいか、今日は気分が軽い。 ただ、場所がなかなか見つからなかった人が多かったのは申し訳なかった。当初は周りに人がいないようなゆるい花見を考えていたのだが、行ってみれば花見2週目なのに、そんな手頃な場所はなかった。その結果、グーグルマップで位置はわかっても、近づくと人だらけで、どれが我々のシートなのかわからなくなってしまった。迷われた方、そして、スマホを持っていないので来られなかった方がいたらすみません。次回は5月半ばの予定です。

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4月の「不適応者の居場所」はゆる花見

いつも「花見のように座って駄弁る」などと言って屋内で開催している「不適応者の居場所」、本物の花見の季節にも屋内でやるのはもったいないので、4月は公園で花見をします。ただし、混んでいる場所を避けた、単なるピクニックのような「ゆる花見」にしたい。こういうものを日頃から、皆やるべきでもあるし。居場所もピクニック形式でできないかなと、かねてから思ってました。対象は例によって、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラなど、様々な理由で日頃つながりをなくしがちな人。フルタイム勤務でも、学校に通っていても、つながりをなくしがちならどなたでも可。つながりがないと、実は花見にも参加できないものなので、この機会にどうぞ。 日時:4月6日(土)15:00 13:00 ~6時間くらい?場所:代々木公園(中央広場? 詳しい場所は当日11時半過ぎにtwitterで告知)費用:ビーガン料理のケータリングと、酒・ソフトドリンクの費用2万5千円程度をカンパで賄いたいです。注意:ハラスメントはなしで。ビジネスなどへの勧誘目的の参加もお断りします。<日没後は真っ暗になり、とても寒くなるので、開始を早めました。それを知ってか、みんな13時頃にはもう全開で、日が暮れるとあっさり帰っていた。その分終了も早まります。> 趣旨など  前回の報告 飲み物はいつもの量くらいは用意しますが、余るほどは買いません。そして、いつものような買い足しができません。コンビニなどは近くになく、最寄り店では売り切れているかも。終わりのほうは飲み物…

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不適応者の居場所 3月の報告

3月はたまたま土曜日が取れたせいか、初めての人にもたくさん来てもらった。そのせいで一時会場が一杯になり、後に時間をずらして来ていただいた方が二人ほど出てしまって、申し訳ない。下は10代から、地方から来ていただいた方も多かった。 覚えきれないほど色々な話をしたが、会社勤めの方で、毎日同じメンバーで昼休みをずっと話しながら過ごさねばならないのが苦しいという話は、リアルでためになる。一方自宅で仕事されている方が、誰とも話さなくなると悩みを語っていたり。そういう両面があるところが、丁寧に考えねばならない問題なのだと痛感する。どちらか一方に全員を誘導すれば解決するようなことではない。流動性の問題なのだろう。ひきこもり、ニート、不登校、自殺に共通する、助けたいと支援する人・なんとかしたい問題と考える人と当事者の、感覚のずれの話もとても面白かった。別に問題の話ばかりしているわけではなく、音楽の話なんかはやっぱり面白い。 次回は、花見をやろうかと画策中。ピークの日はずらして、場所も桜の下はやめておく、ゆる花見なんかどうかなと。 ※写真は自己紹介をしているところで、このような時間はごく一部です。

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不適応者の居場所 3月は土曜日

つながりをなくしがちな人が駄弁ってつながる会「不適応者の居場所」、3月は初めて土曜日にやってみる。会社にも社内ぼっちの人がいる。そうでなくても、会社以外につながりを持てない人が多いことが、あれこれのまずい事態を招いている。なのでこの集まりは、フルタイムで働くつながり欠乏の人にも来てほしかったけれども、会場は土日はいつも予約済みだった。今回は珍しく空いていたので、そんな人も来やすいようにと取ってみた。 問題は、ただでさえ人が多いのに、万一もっと増えたらどうするかということ。そこで、時間を17時スタートに早めてみる。他にいい場所が見つからず、会場を物理的に広くすることは、今のところできない。それを時間軸を伸ばすことで解決したい。これまでから推測するに、一杯になるのは大体20時頃。17時台あたりはどうせ空いているので、ゆったりと確実に駄弁りたい人は、ぜひ早めの時間に来てください。終了も早めますが、そのほうが遠方の人も来やすいと思う。もちろん基本的には、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラなど、様々な理由で日頃からつながりをなくしている人に来てほしいのは同じ。中高生も歓迎。 日時:3月16日(土)17時から5、6時間場所:東京、高円寺、素人の乱12号店費用:カンパ制。会場代、食事代(ビーガン料理のケータリング)、酒など飲み物代の2万5千~3万円をカンパで賄いたいです。注意:一方的な支援活動ではなく、参加者の相互扶助の会ということを忘れずに。ハラスメントなんかは、助け合いとは真逆の行…

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弱者認定をしてもらうことへの違和感

日頃から自らの弱さの公開はとても大事だと言っているし、自分でもそれをやってきた自負はある。けれども、自分はこんなにかわいそうな立場なんですよと世間や周囲に認めてもらおうとするのは、自分としてはちょっと違う。例えば、自分は精神病だと言うことで、進んで弱者カテゴリーのなかに自分を押し込んでいけば、「かわいそう」というある種の特別扱いをしてもらえることは予想できる。けれども、それはとてもムズムズする違和感のあることなのだ。今は本当に色々な精神障害が認められるようになって、それは掛け値なしにいいことなのだけれども、注意すべきところもある。 ミシェル・フーコーというフランスの思想家は、狂人と言われた人が古くから今までに、ヨーロッパでどんな扱いを受けてきたかを研究した。かつて狂人は、村のなかで自由にしていたり、後には犯罪者や物乞いなどと一緒に収容所に閉じ込められていた。それが18世紀末から「精神病者」という「病人」として扱われるようになって、今に至っている。それはいいことではある。けれどもフーコーは、まさにここに大きな問題があると考える。狂人と呼ばれていた人が、病気で判断能力がないとされ、社会的な責任を免除され、精神科医の子供のように扱われるようになるからだ。狂人はかつて、我々の「理性的にまとまった判断」を脅かす、不安にさせる、それなりの一個の存在だった。けれども、それですらない「かわいそう」でしかない存在になったわけだ。 これと同じことを、弱者認定の問題に感じる。自分が90年代に、弱さを公開しつつも、弱…

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「不適応者の居場所」2月の報告

2月の「不適応者の居場所」、寒いなかまた一杯の人に来てもらった。名古屋でまさに不適応者のスペースを運営されている方、横浜の誰でも自由に使える家にかかわっている方など、またしても多彩な人たちに会えた。Twitterに「中高生も来てほしい」と書いたら、それを見た女子高校生が来てくれたのもよかった。中高生が外の世界と交われないことは、彼らの世界を窮屈にゆがめているのであって、それが彼らを健全にするなんてことはない。イギリスの0円生活者マーク・ボイルのこと、海外留学も実際には大変であること、アメリカン・ニューシネマの話、洋楽ロックの話など、色々できた。久々に会話をしたという人もいて、やった甲斐を感じる。 来月は珍しく念願の土曜日が空いていたので、3月16日(土)を予約してしまった。時間は少し早めようと思うが、気になるのは現状ですでに一杯なので、それ以上になったらどうするかということだな。広い場所は相変わらず探しているが、見つからない。それから、0円ショップに置いてあった「ご自由にお持ちください」の掲示用の紙それ自体は放出品ではなく、これからも使いますので、持って帰られた方は、鶴見に会う機会があれば戻してください。

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「貧乏暮らし」ではなく「簡素な生」ーー『清貧の思想』から

ミニマリスト、小屋暮らし、モバイルハウス(車上生活)、隠居、、、これらは、お金や物にとらわれない新しい生き方として注目されがちだが、志向されているのは単に貧乏ではないだろうという話。フリーランスやあまり働かない選択、「プア充」などについても言える広い傾向について。 『清貧の思想』という90年代のベストセラーを久々に読み返すと、そのあたりのことがはっきりしてくる。この本には、松尾芭蕉、良寛、西行、鴨長明、吉田兼好(註1)といった、日本を代表する世捨て人たちの価値観を、「日本文化の精髄」として紹介している。そこで強調されているのが、著者が「清貧」という言葉で言おうとしてるのは、単にお金や財産を持たないことではなく、「簡素な生」のことだということ。(註1)彼らは低い身分ではなかったので、最低限のお金は持っていたと思われるが。良寛以外は。 その価値観においては、お金や財産はひとつの要素にすぎず、地位、人間関係、業績、他者評価、将来、過去など、自分の外にあるものすべてを、自分の幸福の根拠としない。つまりは、「現在」と「自分」の充足を重視した。そしてこうしたシンプルさを重んじる感覚は、決して彼らのような特別な立場の人間だけのものではなく、庶民にまで広く行きわたっていたそうだ。(註2)もともと仏教とともに来た考え方だそうなので、大陸にも大きな流れとしてあったはずだ。 これは今の傾向にも言えることだ。日本にもアメリカにもこんな傾向があり、物にあふれた時代を経験したことや、リーマンショックのような経済破綻を目…

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不適応者の居場所 2月もやります

毎月恒例のつながりをなくしがちな人が駄弁る会「不適応者の居場所」、2月もやります。集まって、飲み食いしながら話すだけです。 日時:2月15日(金) 18:30~4時間くらい?場所:高円寺、素人の乱12号店費用:カンパ制。会場代、食事(ビーガン料理のケータリング)代、酒とソフトドリンク代、2千500円~3万円をカンパで賄っています。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラなど様々な理由でつながりをなくしがちな人(厳密ではありません。会社勤めの人も可)。注意:助け合いの会なので、各自が自分のメリットばかり考えていると成り立ちません。ハラスメントはなしで。その他:0円ショップもやっています。全品無料。不要品の放出大歓迎(ただし残ったら持ち帰り)。 詳細はこちら。前回の報告はこちら(写真あり)。 こういう集まりをやっている理由は、第一にはもちろん、自分も含め集まった人が楽になるから。けれども社会的な理由も大きく、日本の社会にはこういうものが足りなくて生きづらくなっているのだ、まさに今こういうものが必要だと考えているからでもあります。相当時間をかけて形を考えました。こういうものが、あちこちで開かれて、もっと広まってほしい。あとは、集まりで話しましょう。

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「不適応者の居場所」1月の報告

1月の「不適応者の居場所」、またしても色々な年代の色々な世界の人と話すことができた。不登校のこと、対人緊張のこと、仕事のこと、ライター稼業のこと、ミニマリズムのこと、などなど。「生活保護って意外と取れるんだな」とか「大検って簡単だったのか」「障害年金は2級じゃないと難しいのか」などという感想の持てる集まりというのも味がある。そんな話ばかりではないけれども。今回は編集者をやっている人も多かった。 毎回ちょうどギリギリ一杯くらいの30人ちょっとになるというのは、なかなか不思議だ(今回女性は8人くらい)。狭くなってしまって申し訳ないのだが、こういういい条件のスペースはなかなか見つからない。格安(5~6千円くらい?)で7時間くらい使えて、花見のようにフラットに使える、20㎡・10畳以上(?)、アルコール含め飲食可、そして中央線新宿~吉祥寺かその近辺、できれば土日に取れる、などという厳しい条件で探しているのでなかなか。 ありがとうございました。来月もまたやります。

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世間に背を向ける者はいつの時代にもいる

正月にはいつも、世間に背を向けたはぐれ者が放浪の旅をする映画を観る。アメリカン・ニューシネマというジャンルにこの手の映画が多く、『イージー・ライダー』はその代表だ(註1)。「自分の人生なんだ。好きなように生きていいんだ」というスカッとした気分になれる。 (註1)他に『バニシング・ポイント』『明日に向かって撃て』『俺たちに明日はない』『さらば冬のかもめ』『スケアクロウ』など。『テルマ・アンド・ルイーズ』『モーターサイクル・ダイアリー』なども。 今年観たのは、『イントゥ・ザ・ワイルド』だった。ネタバレになるので多くは書かないが、大学を卒業した実在アメリカ青年が「この人生」「この生活」に疑問を持ち、本当の生き方を求めて放浪と荒野の一人暮らしをする映画だ。まあ面白かった。自分はこういうタイプの人や映画に強く惹かれる。 世間やこの人生・この生活に嫌気がさして放浪や自然内独居に向かった例は枚挙にいとまがない。ソロー、ランボー、ケルアック、鴨長明、松尾芭蕉、、、など時代や地域を問わず無数にいる。今の小屋暮らしやモバイルハウスも、その系譜に入るだろう(註2)。(註2)ただ、ソロー、ケルアックの作品については、そんなに面白いと思っていない。 実は、今のひきこもりの人たちも、ある意味、こうしたものの一形態ではないかと考えている。放浪も自然暮らしもできないなら、部屋に閉じこもるのが「脱世間」のやり方だからだ。メンタリティーは共通している。江戸時代以前の出家する僧侶や、現代のミニマリストにも、共通するものを感じる…

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