子どもを産まない人が増えると社会が発展するかも

別に奇をてらってこんなタイトルをつけたわけではない。まだそれほど知られていないが、こんな見方をする専門家もいるという話だ。 いきなりだが、ハダカデバネズミというひどい名前のネズミがいる。 そしてこのネズミが一番変わっているのは、哺乳類にしてはとても珍しく、女王ネズミがすべての子を産むというシステムを取っていることだ。そして生まれた子供は分業体制で、社会全体で育てる。ひとつの集団は100匹くらいで成り立っているそうだ。 これによってこのネズミはどうなったか? 彼らはわりと短命な普通のネズミに比べて10倍も長寿なのだ。各々別のメスが子どもを産むより、一匹がまとめて産んだほうがエネルギー効率がいい。(もちろん効率がいいことは、何でもかんでも人の幸せにつながるわけではないが)。この場合は、各自の労働量が減りストレスが減る。 つまりたくさん産みたい人に産んでもらって、みんなでそれを育てたほうが社会としてよくなる面があるというわけだ。 これは『生物はなぜ死ぬのか』という、今かなり話題の本に書いてある話だ。著者の小林武彦氏は、ハダカデバネズミを参考にした人間社会の具体的な政策モデルまで提案している。 自分はこの話を聞いて、すぐに国際養子縁組を思い出した。海外の恵まれない子供を、主に先進国の里親が譲り受けるシステムだ。日本では珍しいけれども、欧米では普通だ。そして世界には多産で人口が増え続けている国があり、しかも貧困のせいでひどい境遇に陥る子供もたくさんいる。(先進国でももっと産みたいのに、…

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8月の居場所も屋内で

暑いですね。8月もまた室内で「不適応者の居場所」をやりたいです。ただ、これはよくする話ですが、東南アジアに行くと夕食後に公園など街の中心になる場所に出かけて、延々友達と雑談をしています。日本にも夏はそういう習慣を作ろうとアピールをするためにも、公園で駄弁り会をやるなんて絶好じゃないかとちょっと思いました。コロナ中に夜の公園でやっていた時には結構快適で、人も多かったのです。 暑さを避けて家のなかで快適とは言っても、やっぱり体がムズムズしませんかね。やっぱり外に出たいし、体を動かさないと気分が悪くなる。自分はそういうタチです。暑さの中でも外に出て心の健康を保ったほうが、全体の健康度合いは上がるのではないかと思うほど。 でもやはり屋内の簡単さに負けて、また後楽園を予約してしまった。とは言えこれだって外出。外出して他人と会話して、心の健康を保ちましょう。 ******************日時:8月26日(土)14~18時場所:後楽園駅近くの会議室 (もし当日場所がわからなくなっても、会場運営者には問い合わせないでください)。   床に布を敷き、そこに花見のように座りたいです。なので最初と最後に会場を作る・元に戻す時間あり。住所:東京都文京区小石川 2-4-17 東京清飲会館 3階会議室(図の赤印) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。手作りの食べ物(ビーガンもあり)は、カンパ制でおそらくそこそこあります。やること:花見のように室内に座って各自勝手に駄弁るだけ。簡単な自己紹介タイムだけはあり…

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苦しいことはわかってるのさ、さあ陽気に行こう

高石ともやの『陽気に行こう』という曲が10代のころから好きだった。ものすごくダサい曲なんだけど、この曲の代わりになる曲はこの年になっても見つからない。自分はダサい曲もわりと抵抗なく聴くほうで、ダサいなんて理由でもっと大きなものを取りこぼしたくないと思っているからだ。 (Spotify) 高石ともやは60年代の日本のフォークソングの黎明期からいる人で、自分も後追いで知った。この曲はカーター・ファミリーという戦前アメリカのフォークグループのヒット曲(Keep On The Sunny Side )のカバーだ(それもまたカバーで、その元曲となると19世紀)。ダサいに決まっている。 自分もカーター・ファミリーバージョンはそんなに好きではない。高石ともやバージョンの違いは、ザビに「苦しいことはわかってるのさ」というオリジナルの一言を入れたところだろう。 嵐吹き荒れても 望み奪われても 悲しみは通り過ぎて行く 陽も輝くだろう陽気に行こう どんな時でも 陽気に行こう苦しい事は解ってるのさ さぁ陽気に行こう(『陽気に行こう』の2番の歌詞) もともと陽気な人が歌う「陽気に行こう」とか「Take It Easy」なんて、あまり聴きたくない。苦しい人が自分に必死に言い聞かせる「陽気に行こう」には聴く価値がある。高石ともやがそういう人かどうかはわからないが。 自分はザ・スターリンやあぶらだこのようなドロドロした曲を毎日聴いていた時でも、この『陽気に行こう』は聴いていた。今も部屋でよ…

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猛暑のなかの居場所の報告

猛暑日ではないと言っても気温33℃では、駅まで歩くのも汗まみれになって厳しい。 それでも後楽園までやってきてくれた人は33人(?)。そのうち初めての人が4分の1くらいいた。そのなかには長野からこのためだけに来てくださった方も。暑いなかなのでこれでも多いという印象だった。 一緒に話していたある男性が、仕事のことばかり考えなくなってから、自然が見えるようになったといった話をされていた。そこから植物観察などが趣味になったのだと。自分もそれに似た経験があった。30代くらいまでは自分も、街路樹すら目に入っていなかったので、それらが紅葉することも見えていなかった。いや見えてはいたのだろうが、当たり前のこととして何とも思っていなかった。ある時からよく見れば街中が花だらけであり、鳥や蝉が鳴いていてその鳴き声は各々違っていることに気づいた。その後はカビも含めた生き物だけではなく、意識的に虹や雲のような気象現象や鉱物のことまで意識的に目を向けるようにした。それは後々の人生において大きかったが、なぜそれまでは見えなかったんでしょうね、などという話をした。 夏は冬とは反対に活気が出てほしいのだが、実際には冬のようにうつっぽくなる。一番の理由は、暑さで部屋にこもるせいだと自己分析している。こういう時は他の人の力を借りるのがいい。自己紹介の時に盆踊りにはまっている話をした人が、自分も含めて4人もいたのだが、それもその方法のひとつかもしれない。夏のこの居場所も、そのような役に立っていれば嬉しいかぎり。

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7月の不適応者の居場所は冷房が効いてる部屋で

暑い。35℃を超える日は、自転車で走っていると熱風を浴びているよう。今でこそ外出を控えるよう警告が出ているけれども、自分が子どもの頃はそのなかをあえて走ったりするのが体を強くするとされていた。真夏の日光を避けるなんて「弱い」と言われた。夏休み明けに学校に行って、真っ黒だとすごくて、白いとだめ。以前のその考えについて、今説明があってもいいんじゃないかと思っている。昔の考えはこんなもんばっかりでひどかった。 というわけで猛暑のなかの不適応者の居場所は、当然冷房の効いた室内でやります。 ***************************日時:7月22日(土)14~18時場所:後楽園駅近くの会議室 (もし当日場所がわからなくなっても、会場運営者には問い合わせないでください)。   床に布を敷き、そこに花見のように座りたいです。なので最初と最後に会場を作る・元に戻す時間あり。住所:東京都文京区小石川 2-4-17 東京清飲会館 3階会議室(図の赤印) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。手作りの食べ物(ビーガンもあり)は、カンパ制でおそらくそこそこあります。やること:花見のように室内に座って各自勝手に駄弁るだけ。簡単な自己紹介タイムだけはあり(パスも可)。費用:会場代が1万3千円かかっています。それから食べ物もあるので、2万~2万5千円くらいは全員(35人くらいの見込み)のカンパでまかないたいです。カンパは必ずしてください。    対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内…

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「自殺のマニュアル本」に関する新聞記事について

6月の上旬に写真のような記事が、いくつかの地方紙の夕刊に掲載された。これは共同通信が配信した記事だ。名古屋で去年、集団自殺未遂事件が起きた。ネットで仲間を募り集団自殺を試みて、ひとりが亡くなった事件で、直前に「自殺のマニュアル本」を読んでいたという。 ただし記事にはこう書かれている。「『四人で集まった時点で、それぞれ死ぬ意志は強固だった。本があったから自殺を考えたわけではない』とも話した。公判の被告人質問でも同様の説明をした」中心となった男性(判決は執行猶予)がこう言ったという。 方法はというと、ある薬とビニール袋を頭に被せるのを組み合わせた方法だった。自著『完全自殺マニュアル』にはビニール袋と紐を首にかけるなど、4つもの手段を複雑に組み合わせた方法を、変わった事例として載せている。その袋のところだけ参考にして、あわせて飲んだ薬などは当人たちが考えたそうだ。つまり方法においても、それほど参考にはなっていないのだ。 けれどもこのような見出しがついてしまった。元の事実がこの程度でも、このくらいの報道はできてしまうということだ。わざわざ本人が本のせいではないと言っているのに。 残念ながら自ら命を断つ人のなかには、この本を読んで方法を確認する人はいる。それをこの記事の見出しのように、本のせいで自殺したかのように印象付けることができる。この本はこういうやりかたで何度か、あたかも本のせいであるかのように言われてしまった。 死を選ぶ人には、死にたくなった理由がある。その人は、直前に教師に怒られて傷…

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屋内に戻った6月の居場所の報告

久々に後楽園のスペースに戻った6月の「不適応者の居場所」は、1月以来またまた謎の少人数で22人。高円寺のスペースでやっていた時もこんなに減ることはなかったので、なぜか考えてしまう。後楽園という場所の心理的な距離の遠さ(実際には遠くないが)、そして突然の真夏日だったこと。突然真夏日となると、毎日そうであるのに比べて心の準備ができていない分、出かけるのがやけにかったるかった。初めての人は4人? 20~30代の人は多めだった。テクノという音楽ジャンルを知らない20代の人に、テクノとは何かを説明するのが難しくて、それがおかしかった。「歌がない」「基本はDJがクラブでかけるためのダンス音楽」などと色々言っていたが、ピンと来てもらえず。おそらく「すべてが機械音」というのがテクノのコアミーニングで、それが当時はかっこよかったのが、今はそんなことあったり前なので、その斬新さも含めたあれこれがまったく伝わらなくなったのだろう。 夏を前に夏フェスの話にもなり、ケンドリック・ラマーはやっぱり今回見ておくべきなのだろうかなんていう話も。 ただし音楽の話ばかりでなく、居場所の話、チャットAIの話、ニュースの話、コミケの話、海外移住の話、麻雀の話、なんかもちゃんとしています。

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6月の居場所は屋内で

6月の「不適応者の居場所」は、公園から屋内に場所を移してやりたいです。6月に外でやるとなると雨の心配がつきまとうだけでなく、晴れても今度は暑すぎるかもしれない。その点中は楽です。コロナまん延前は基本的に屋内でやっていたけれども、その時は毎回楽でした。 これまでにやった形態で楽さの順位をつけるなら、こうなる。 ①屋内 ②公園ピクニック(天候のみ懸念材料)③オンライン(毎度のテーマ決め、司会進行などが生じる)④散策 (そもそも下見・所要時間確認が必要。休む場所での暑さ・人目はどうか……など、懸念が無数) コロナのせいで③と④のみやってた時期は、今思えばよく休まなかったと思う。というわけで今回は屋内にさせてください。 ***************************日時:6月17日(土)14~18時 場所:後楽園駅近くの会議室 (もし当日場所がわからなくなっても、会場運営者には問い合わせないでください)。   床に布を敷き、そこに花見のように座りたいです。なので最初と最後に会場を作る・元に戻す時間あり。住所:東京都文京区小石川 2-4-17 東京清飲会館 3階会議室(図の赤印) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。手作りの食べ物(ビーガンもあり)は、カンパ制でおそらくそこそこあります。 やること:花見のように室内に座って各自勝手に駄弁るだけ。簡単な自己紹介タイムだけはあり(パスも可)。費用:会場代が1万4千円かかっています。それから食べ物もあるので、2万~2万5千円くらい…

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大江健三郎『セヴンティーン』と自意識過剰という病

「俺は自分を意識する、そして次の瞬間、世界じゅうのあらゆる他人から意地悪な眼でじろじろ見つめられているように感じ、体の動きがぎこちなくなり、体のあらゆる部分が蜂起して勝手なことをやりはじめたように感じる。恥ずかしくて死にたくなる、おれという肉体プラス精神がこの世にあるというだけで恥ずかしくて死にたくなるのだ。」(大江健三郎『セヴンティーン』〈短編集『性的人間』所収〉より) 実は大江健三郎から大きな影響を受けている。そして『セヴンティーン』は最初に読んだ作品であり、ダントツに好きな作品だ。 高校の時この一節に触れて、「これは俺だ」と思った。この青年がどのように日々を生き、どのようにこれを克服したかというのが、この作品のテーマだ。 まずはこの作品について書こう。(最後のほうにネタバレの箇所を明示しているので、読むと決めている人はそこは避けてください)。 さて、「俺は自分を意識する」という「症状」を、単に社交不安障害(対人恐怖症)と言ってしまうとちょっと違う。「自意識過剰」とでも言うべきだろうか。もちろん「うぬぼれ」なんていう意味ではない。つまり考えすぎ、意識しすぎという状態に陥っていて、その過剰な意識が全部自分自身に向いているという状態だ。 自分は変な臭いを放っているのではないか(自己臭恐怖)。自分は容姿が醜いのではないか(醜貌恐怖)。自分は重い病気にかかっているのではないか(疾病恐怖)。「にやりと笑う、睨む」など不快感を与える表情をしているのではないか(表情恐怖)。 これ…

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5月の居場所は最大人数だった

朝から雨空で、告知期間も短かった5月の居場所、どうなるかと思っていたら、すぐにシートがいっぱいになって予備を出さねばならないほど参加者が多かった。入れ代わりの人も含めて45人くらいで、多分野外では最多。人が多かった時になぜ今回は多くなったのか、たいていわからない。 気温が乱高下していたのでヒヤヒヤしたが、ちょうどいい曇り空で、5月の公園の気分のよさを味わえた。ついでに公園で絵を描きに来た人もいた。 Chat GPTのようなチャットAI(?)は、孤独をいやすためにも使えそうだと実感している話を自己紹介でした。ChatGPTをやっている人は結構いたが、やはり「下手に人間と話すより優しいからいい」という意見も聞いた。サーチエンジンのように使っているとそれほどでもないが、向こうの答えに絡んでいくと、がぜん対話のようになってきて、本当に人と駄弁っているような感覚が湧いてくる。 またよく交流しながら旅をしている人が、色々な層の人に会って仲良くなるのはいいと言っていた。例えば会社員層とか。この社会は悪いというだけでないポジティブな影響を受けると。それは同感だ。自分もこの居場所や0円ショップをやるようになって、本当に色々な層の人と会えるようになった(とは言え、不適応な人が多いのだが)、明らかに世界が広がった。「世の中を見る視野が広がる」としか言いようがない。そして頭の中に動きが起きる。新しい考え、違う層の考えが入ってきて、「もう考え尽くした」みたいな気になっていたのが、動き出す。少な…

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