クリスマスの居場所、やってみたらできた

今年最後の不適応者の居場所は、クリスマス会になった。クリスマスらしいことは何もやらなかったけれども、自分としてはうまくいってよかった。参加者は40数人。初めての人も10人くらいいた。 今回は初めての場所だったので、まずうまく行くのかどうかが心配だった。いくつもの条件をクリアしてギリギリに見つけた会場だったので、下見もしていない。思った形に会場づくりができるか? 来る人が多すぎず少なすぎず、適度に距離を保って座ることができるか?これだけたくさんの人に来てもらうのだから、ダメでしたというわけにもいかない。 けれども結局何の問題もなかった。もちろん話している間も面白いことがたくさんあったのだが、終わってみるとそこが感慨深かった。 以前に「くるくるひろば」という不要品無料提供の店?を作った方にインタビューしたことがある。「一番よかったことは何か」と聞くと、彼女は環境問題などのことより、「やってみたらできたこと」と答えた。その時も「それ、よくわかるな」と思った。 今回も長い間会場が見つからなくて、もう冬は休みにしようかとも思った。もちろんどんなことでも、やめてしまうのは時には有効な手だ。色々と不安が多いたちだったので、その手を使うことはこれまでにもとても多かった。今の世の中的に見ても、無理せずにやめてしまうことのメリットを言ったほうがいいような気もする。けれども「やってみたらできた」というのは、かなり代わりのきかない感激だ。 この集まりの一回がうまくいくなんて、ほんの小さなことなんだけ…

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年末の居場所はクリスマス会でどうか

今年最後の「不適応者の居場所」は、クリスマスイブの昼でどうでしょうか?ただ、もともとイヴがいいと思ってたわけではなく。12月の外は寒いので今回は屋内を取ったのですが、空き日程の関係でそこくらいしかなかったのです。イヴの夜は用事がある人が多そうなので、昼過ぎにしました。だけどクリスマスの集まりなんて、あまり経験できない人もいるだろうから、これでいいかなと。自分もクリスマス会なんて最近はまったくなし。ついでに言えば、忘年会もありません。 今回は会場探しもあって、すごく大変でした。行ったことのない貸し会議室なので、どうなることやらまだまだ不安です。 日時:12月24日(土)14時~17時半。    (予約などいりません。当日直接会場に来てください)。 場所:後楽園駅近くの会議室 (もし当日場所がわからなくなっても、会場運営者には問い合わせないでください)。   机は隅に片づけて床に布を敷き、そこにいつものように座りたいです。なので最初と最後に会場を作る・元に戻す時間がかかります。持ち物:各自の飲み物(飲酒も可)、食べ物も必要なら。おいしい手作りの食べ物は、カンパ制でおそらくそこそこあります。    敷く布は持っていきますが、広い部屋なので足りないかもしれず、布・シートなど持っていたほうがいいかも。 費用:会場代が1万4千円かかっています。それから食べ物もあるので、2万~2万5千円くらいは全員(35人くらいの見込み)のカンパでまかないたいです。カンパは必ずしてください。    対象:ひきこ…

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群れのなかにいることと自分で考えること

群れのなかのその時その時のノリで「いい/悪い」が決まってしまう世界がある。内藤朝雄氏の『いじめの構造』という本では、そんな秩序を「群生秩序」と呼ぶ。学校の秩序とはそういうものだ。この本はいじめについての本のなかでも、いじめをする側の心理を解き明かしている点で特に優れている。一方、普遍的なルールによって善し悪しが決まる秩序を「普遍秩序」と呼んでいる。確かにそういうものは、学校の外にもある。 例えばグループのリーダー格の人物がハンバーガー店の看板を見て、「ハンバーガー食いてえな」と言ったとする。「ハンバーガーうめえよな」とまわりの者がそれに次々に従う。そのなかで「昼飯ならさっき食べたばかりじゃないか」と思っても、それが理にかなっていても、言わないでいたほうがいいかもしれない。 自分が思うのは、こういう秩序のなかで生きていると、「みんながどう思っているか」ばかり考えることになるということだ。特に身に危険が及ぶ時などは、必死にそればかり考える(「読む」と言うべきか)だろう。普遍的な秩序のなかにいれば、もっと普遍的なことを考えるはずなのに。群れのノリのなかで生きる場合は、一般的に見たらどうかにこだわるとむしろ身が危ない。(ナチスドイツのなかで官僚だった場合とか)。 自分は常々、「自分の頭で考えずに他の人の考えばかりうかがっている」ようなことがどうして起きるかつについて考えることが多い。もちろん自分だって他人事ではないし、それをなくすなんてこともありえない。けれどもひとつには、こうした群生秩…

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紅葉見の居場所

11月の居場所は、寒くなると思ったので11時半から始めたら、予想に反して暑いくらいの日だった。参加者は35人くらいで、初めての人が6人? 午前中は人ゼロかと思ったら、開始早々かなりの人だった。岐阜や富山から初めてこの集まりのために来てくださった方々が、地元でもやってみたいと言われていて嬉しかった。藤沢から高校生が来てくれたり。終わったあと公園で弾こうかと、ギターを持ってきていた人も。 紅葉はまだだと思っていたが、この公園はもう見ごろと言ってよかった(カエデ系ではないからか)。日が傾くにつれて、噴水池まわりの紅葉がどんどんきれいになっていくのが気になっていた。度々輪から離れて写真を撮りに行った。話したことも面白かったけれども、こういう環境に長い時間いれば、話がどうであれ気分よくなったはず。帰った後も頭の中がすっとしていた。 ado、King Gnu、新海誠なんかの話は、それらのコアなファンがいるというわけでなくても、この時期はやはり出る。さて問題は来月以降だな。どうしよう。※写真はタップして見てください(ダメなブログなのでそのままだとぼけてしまう)。

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11月の居場所は真昼

今年最後の公園での不適応者の居場所は、19日にやりたいです。この時期に気になるのはもちろん気温。夏には暑くて夜にやっていたのに、少しずつずれて、とうとう真昼になってしまった。11月なので浅い紅葉が見れると思う。 個人的事情を言うなら、翌日が0円ショップで2日連続はきついけれども、気温・天候の予報からここしかなかった。もし両方行きたい人がいたら、ハードですみません。 日時:11月19日(土)11時半~15時半(雨の場合は23日に延期)。場所:代々木公園 噴水池そば(図の赤印のあたり。正確な位置は当日発表)持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。おいしい手作りの食べ物は、カンパ制でおそらくそこそこあります。    対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。攻撃を行う人の参加はできません。支援活動ではないので、相手を思いやる気持ちがないと成り立ちません。・途中で座る場所を変わったりするのは、こういう集まりでは普通。せっかく来たので、なるべくたくさんの人と話すのもいいです。逆に席を変わられても、がっかりすることはないです。・ずっとは長いので、少しだけいるのも可。・ほとんどの方はひとりで来られてます。 開始時間が早いですが、それもまたいいと思います。それにしても問題は12月以降だな。

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運次第の残酷な世界に生きている

最深部の問題とか最終的な問題と呼んでいる問題がある。例えば誰かとのつきあいとか、社会の制度といった浮いては消える問題よりも、はるかに深いところにある問題という意味だ。生き物の生死とか、地球環境とか、宇宙とか物理とか、そういった問題よりももっと深いと思う。我々が持ってしまう世界への絶望やムカつきの根源に何があるのか。人が生きるうえでもこれが一番深い思いになったりするので、書くのにも慎重になる。*********************まずどれだけ科学や理性を発達させたところで、やはりこの世の中は「運次第(あるいは偶然)」で成り立っている。「でたらめ」ということだ。生まれる家族や土地。人の持つすべての遺伝子、人の容姿。これらは100%運で決まる。人生において出会う相手も、運の力がはるかに大きい。(自分にとって人生最悪レベルの人物との出会いは、自分で選んだものだっただろうか?)いや、それよりも、ちょっとした「つき」の有無で、誠実さや頑張りなどが吹き飛んだりすることがどれだけ多いだろう。人生において努力で何とかなっている部分なんか、3割くらいなんじゃないだろうか。人間は科学を発達させて結果を制御したり、社会を整えて「正直者がバカを見る」ことが少ないように工夫してきた。それでもやはり、これだけのことが運次第であるところを見ても、この世界はまったく「できが悪い」のだ。(実際に途上国では、もっと運や偶然の力が大きいだろう。大人の世界より子どもの世界のほうが、運や偶然に左右されやすいとも思う)。どんなに誠実にコツ…

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新刊の紹介記事と蛇足的な自己解説 その2

新刊がらみでありがたいことに、その後も紹介記事が出続けたため、さらにここにまとめを。この取材の多さは前の本、その前の本よりもはるかに多く、注目度がまるで違うなと驚いた。おかげ様でよく読んでもらえていて、3刷が決まりました。 こだまさんとの対談 こだまさんの本では、自分は『夫のちんぽが入らない』にはもちろん感動したのだが、『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に入っている「学校の話」にもガンと来た。心の病のことだけでなく、消極的であることがそもそも大きなマイナスである世界のことが赤裸々に描かれていた。それが笑えるところがまたすごい。そしてこの『ずっと、おしまいの地』めぐる対談では、色々経験してしまった後で、物事を肯定的に見られるようになるにはどうすればいいのか聞きたいと思っていたため、答えらしきものが見つかってよかった。いい対談になっていると思う。 村田らむさんの東洋経済のインタビュー 村田らむさんの東洋経済オンラインでの、来歴を語るインタビュー連載。高校時代は精神病院に行きたかった。どう見ても頭がおかしいから。(自分が意識することを意識する状態で、テストの最中にもそれが始まる)。部活をやめるために骨折したかった。救いはロックだけだった。(ここのところは、「その当時は世界が三つあるわけですよ。学校と家庭と、もうひとつがロック」みたいに話した)。などなど、新刊よりも多少詳しく過去のことを語っている。新刊の話も含め、読み応えたっぷりにまとめていただけているのはさすがだと思った。…

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秋の公園の居場所の報告

10月の不適応者の居場所は、暑くもなく寒くもないちょうどいい気温のなかでできた。このちょうどいい気温にならないところが、最近の気象の一番おかしなところだ。 今回は長らく立ち入り禁止になっていた、中央広場方面の池のそばに戻れた。最近は木が繁った場所でこっそりやることが多かったので、広々と感じられ、シートを広げた時に「ああこれだけで成功だ」と思った。かつてはいつもそう思っていたのを思い出した。 参加者は40人以上で、外でやったなかでは最多だった。これも新刊とインタビューが出た影響だろう。 17時を過ぎると急に暗くなったが、この時期になるとあまり虫の声は響かなかった。木の上で鳴いているのはスズムシではなく、アオマツムシという虫だと教えてもらった。 よく来てくれていた人が京都の料理屋に就職するので、最後に寿司を作って持ってきてくれたなど色々あった。とは言え、特筆するようなことも特にない。ためになる話も色々聞けたが、こういうところで時間を過ごせれば、ためになんかならなくてもいいのかもしれない。

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秋の公園の池の側で居場所

10月の不適応者の居場所は、また代々木公園でやりたいです。ちょうどいい気温がないことが続いた夏以降でしたが、10月半ばの気温はまさにちょうどよく、まずいい気分でやれそう。気をつけていると、夕方に一斉にスズムシが鳴きはじめるのが聞けます。今回は以前の定位置で、眺めがいい噴水池の側に戻ってみたい。公園側は長い間、中央広場を閉鎖していたので、ここに戻るだけでも感慨がある。 日時:10月22日(土)13~17時。場所:代々木公園 噴水池そば(図の赤印のあたり。正確な位置は当日発表) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(酒OK)。おいしい手作りの食べ物は、カンパ制でおそらくそこそこあります。    対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。攻撃を行う人の参加はできません。支援活動ではないので、おたがい様の気持ちで相手を思いやる姿勢がないと成り立ちません。・途中で座る場所を変わったりするのは、こういう集まりでは普通。せっかく来たので、なるべくたくさんの人と話すのもいいです。逆に席を変わられても、がっかりすることはないです。・ずっとは長いので、少しだけいるのも可。・ほとんどの方はひとりで来られてます。 新しくこの居場所を知った方に。そんなに誤解もないので念のためですが、鶴見はこの居場所の一参加者兼管理人にすぎないので、自分が全体に話す時間などもちろんないし、周囲の人に「俺の話」…

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集団に入るべきなのか問題(仲間が多いのは力が強いことである)

「人間関係を結ぶかどうか」とはまた別に、「集団に入るかどうか」の問題がある。集団に入るべきかどうかについては、新刊のなかでも言っていなかった。 ちなみに社会学で言う社会集団の定義とは、まずその集団に所属している自覚のある複数人から成っていること。そして持続的に、たがいに活動をしあっていることが条件だ。つまり満員電車に乗り合わせている人たちは、たがいに活動していないし持続的でもないので集団ではない。「不適応者の居場所」も集団ではないと思っている。規模については、自分がイメージしているのは、クラス、〇〇校生、✕✕部、サークル、職場、町内会など、そこそこ大きいものだ。 自分が挙げている人間関係のメリットには、「人から肯定される」とか「思っていることの共有」なんかがある。そして言いたいのは、これらは「今日は〇〇さんと話す」「来週は✕✕さんと一緒に行く」といった「個別の人間関係」ですべて満たすことができるということ。 つまり「集団に入らなくてもいい」ということだ。自分は集団に入ってしまうこともあったし、まったく入っていない時期もたくさんあった(今は入っていない)。それを振り返れば、そういう結論になる。 どの学校、どのクラス、どの部活なんてことがその人の肩書きのようになってしまう環境にいると、集団に入っていないと大変なことになるのではないかと感じる。けれども外れてみれば、それは関係なかった。 ただし集団に入ることにも、何かメリットがあるはずだ。それは「力」の感覚なのではないかと思う。自分…

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